富岡製糸場とみおかせいしじょう

富岡市の中心、上信電鉄上州富岡駅の南西部約1kmに位置する、世界遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」*の中心的な構成資産。
 明治維新後、日本の近代化を目指した政府は、外貨獲得のため、生糸の品質改善・生産向上を目指し洋式の繰糸器械を備えた官営の模範工場をつくることを決める。工場建設の基本的な考え方は、「洋式の製糸技術の導入」、「外国人の指導者」、「全国から工女を募集し、伝習を終えた工女を出身地の器械製糸の指導者とすること」とした。
 こうした考え方のもと、日本政府はフランス人技師、ポール・ブリュナを雇入れ、その指導のもと、西洋の技術を取り入れた官営模範器械製糸場(富岡製糸場)が設立された。1872(明治5)年、操業を開始して日本の製糸技術を飛躍的に向上させた。その後民間に払い下げられ、最終的には片倉工業株式会社富岡工場として操業したが、1987(昭和62)年、操業を中止、その後も貴重な産業遺産として工場施設の維持管理を行ってきた。2005(平成17)年、富岡市に全ての建造物が寄贈され、2014(平成26)年、世界遺産として登録された。
 敷地面積約52,738m2、繰糸所(国宝)は長さ約140m、当時は世界最大級の生産規模を誇る。東置繭所(国宝)は主に繭を貯蔵していた建物で長さおよそ104mにもおよび、西置繭所(国宝)は東置繭所と同様に2階は繭倉庫、1階の北半分は蒸気機関を動かすための石炭置き場。その他6つの重要文化財が保存されている。
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みどころ

日本の外貨獲得のために大きく貢献した施設で、その建設の経緯*、その後の日本の発展、絹産業衰退後の貴重な工場の維持保存の努力などについての歴史を学び、さらに現在の姿を目にすることにより、大きな感動を生む。
 その歴史を理解するためにも、ガイドツアーによる解説や音声ガイド機による解説を利用してほしい。 
 上毛かるたでは「日本で最初の 富岡製糸」とうたわれている。(林 清)
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補足情報

*世界遺産:世界遺産条約(1972(昭和47)年)に基づき、人類共通の宝物として未来の世代に引き継いでいくべき文化財や遺跡、自然環境として、国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産委員会により登録された有形の資産。文化遺産・自然遺産・複合遺産の3種がある。
*建設の経緯:富岡に製糸工場を決めたのは次の5つの理由だと言われている。1.養蚕が盛んな地域で繭の確保が容易なこと、2.広い用地が確保できること、3.大量の水が確保できること、4.石炭が高崎でとれること、5.地元の同意(外国人指導者を含め)がとれること。
関連リンク 世界遺産 富岡製糸場(富岡市)(WEBサイト)
参考文献 世界遺産 富岡製糸場(富岡市)(WEBサイト)
パンフレット「富岡製糸場」
パンフレット「世界遺産 富岡製糸場と絹産業遺産群」(群馬県)

2020年04月現在

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