山居倉庫さんきょそうこ

JR羽越本線酒田駅から南へ約2km、市街の南部、新井田川の河口近くにある庄内米の貯蔵庫。酒田は古くから庄内のみならず、奥羽地方の米の集散地*であった。現在の倉庫は酒田米穀取引所*の設立に尽力した旧庄内藩の藩主酒井家が、取引所の付属施設として1893(明治26)年に建設したものである。米の収容能力は、最大時の昭和初期には15棟で約20万俵(現在は9棟)ほどであった。土蔵造り12棟が並び、倉庫前の船着き場や裏手のケヤキ並木と相まって往時を偲ばせる。倉庫裏手のケヤキ並木は夏の西日と冬の風雪から倉庫を守り、二重屋根は倉庫内を一定の温度に保つなど自然を利用する工夫がなされ、低温倉庫としての機能を果たしている。
 現在、1棟は庄内米の歴史の紹介や古くからの農具類を展示する「庄内米歴史資料館」*となっており、2棟が酒田市観光物産館「酒田夢の倶楽」*として活用され、残りの9棟は、現役の農業倉庫として利用されている。
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みどころ

新井田川河畔に建つ倉庫や舟寄は、舟運、海運が盛んだった当時の風情をそのまま残す。また、自然を利用して、コメを良好な状態で保管する工夫を施している倉庫の構造を産業遺産として観察するのも興味深い。
 倉庫裏手のケヤキ並木は、新緑や紅葉をはじめ四季折々の色合いを見せ、黒壁の12棟の倉庫に映えるビュースポットである。(志賀 典人)
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補足情報

*コメの集散地:酒田がコメの集散地となった歴史は古く、すでに16世紀末には最上川流域の各地から集められ、河口付近には米倉が並んでいたという。さらに1672(寛文12)年には、江戸の飢饉に際し、幕府は豪商河村瑞賢に命じ、酒田港から御用米を江戸へ回漕させた。これにより西回りの「回米航路」が開け、庄内のみならず、奥羽諸藩の米取引の中心地となった。
*酒田米穀取引所:江戸時代の米取引を担っていた米座が1876(明治9)年に閉鎖となり、私設の米座や会所も設立されたが、混乱は収まらず、1893(明治26)年に新たに取引所法が制定され、酒田においても米穀取引所が旧藩主の酒井家を中心に設立された。酒田米穀取引所は、1939(昭和14)年に米穀配給統制法の公布により、その役割を終えた。その後、山居倉庫は賃貸倉庫として使用され、現在は全農及び酒田市が保有している。
*庄内米歴史資料館:1985(昭和60)年開館。稲作の歴史、稲のルーツ、品種改良、生産・保管・流通の過程などを模型や展示パネル、ジオラマなどで紹介している。
*酒田夢の倶楽:山居倉庫の2棟を改装し、酒田の物産や食を紹介、販売している。ミュージアム「華の館」では酒田にゆかりのある作家の作品や地元に伝わる伝統工芸品、酒田のお雛さまなどを展示し、販売もしている。「幸の館」で地酒・地元銘菓・海産加工品のお土産を販売、フードコートやレストランもある。ケヤキ並木を眺めながらひと休みできるオープンテラスも用意されている。

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