萬翠荘ばんすいそう

萬翠荘は城山公園の南側にあり、旧松山藩主の子孫である久松定謨(ひさまつさだこと)伯爵の別邸として建てられた建物で、1922(大正11)年、フランス風建築を得意とする建築技師である木子七郎(きごしちろう)によって設計・建築させた純フランス風洋館である。地上3階・地下1階建てで、建築面積は428.78m2、延床面積は887.58m2。建設費は当時としては巨費である30万円を投じて建てられた松山市で最古の鉄筋コンクリート造である。
 太平洋戦争終結後には米軍将校宿舎、1947(昭和22年)には松山商工会議所、1952(昭和27年)には家庭裁判所、1954(昭和29年)には県立郷土芸術館として変遷をたどった。さらに1979年(昭和54年)には愛媛県立美術館分館になったが、2009(平成21年)から指定管理者制度の導入により、県立美術館分館は幕を閉じ、現在では文化・観光施設として運営管理されている。萬翠荘は、松山空襲の戦禍を免れ、建設当時の姿を残す貴重な建物として、1985(昭和60年)に愛媛県指定有形文化財となり、2011(平成23年)には萬翠荘本館と管理人舎の2棟が国の重要文化財に指定されている。
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みどころ

久松定謨伯爵は、陸軍駐在武官としてフランス生活が長かったことから同国への思いが強く、萬翠荘はその思いをカタチにしたものといえる。萬翠荘を設計した木子七郎は、西欧の建築を学ぶため数か月間に渡りヨーロッパを歴訪し、その真髄を吸収した。デザイン、構造、調度、装飾はすべて第一級品で揃え、それゆえヨーロッパ人も驚愕するほどの純フランス風の建物に仕上がっている。
 1階にある茶色を基調とした格調高い大広間には豪華な水晶でできたシャンデリアがあり、2階には裕仁親王(後の昭和天皇)が宿泊された際に朝食を召し上がられた洋間などもある。さらに、踊り場の大窓に広がる海の風景が描かれたステンドグラスは大正浪漫を現世に伝えている。これまではハワイ製といわれていたが、2010(平成22年)の文化財調査の結果、近代建築ステンドグラス制作者である木内真太郎の作品であることが判明した。
関連リンク 萬翠荘(WEBサイト)
参考文献 萬翠荘(WEBサイト)
『萬翠荘公式パンフレット』

2022年11月現在

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