足利学校跡あしかががっこうあと

JR足利駅の北西500mにある。創建については、平安初期の小野篁説や、鎌倉時代初期の足利義兼説がある。歴史が明らかになるのは室町中期以降で、1439(永享11)年に関東管領上杉憲実が鎌倉の禅宗五山のうち円覚寺の僧快元を初代庠主(しょうしゅ)*として学校を整備し、学則を定め学生を養成した。憲実以後もその子憲忠などが学校の基礎を固めた。1549(天文18)年には、フランシスコ・ザビエルにより「日本国中最も大にして最も有名な坂東の大学」と世界に紹介された。のちに北条、徳川氏の保護を受けたが、1872(明治5)年に「坂東の大学」の役割を終え、幕をおろした。
 入口には1840(天保11)年に掲げられた額のある入徳門がある。ここが日本最古の学校といわれる足利学校跡である。しばらく歩くと、足利学校のシンボルの1668(寛文8)年に創建された学校門がある。正面には日本現存最古の大成殿が見える。大成殿の中央には孔子坐像、右には小野篁像が安置されている。
 学校門をくぐって左手に、遺蹟図書館がある。足利学校が廃校になって以降、1903(明治36)年に遺蹟図書館が開設され、国宝4種77冊、重要文化財8種98冊を含む約17,000冊に及ぶ重要な書籍を所蔵し、現在に至るまで継承されている。
 1982(昭和57)年より、史跡の東部分が整備され、1990(平成2)年には茅葺きや板葺きの方丈・庫裏など建物7棟と北庭園・南庭園、周囲の土塁堀などが江戸時代中期の姿に復原された。
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みどころ

江戸時代、全国各地に寺子屋が存在したことが、明治時代以降の日本の学問を発展させた。足利学校の創建がいつかについては諸説があるが、少なくとも室町時代には存在したという古さ、その時代の学問所としての大きさ、足利学校は間違いなくその総本山の一つである。
 足利学校の美しさ、規模の大きさという視点からだけではなく、室町時代、江戸時代に東日本の学問の拠点となり多くの知識人も訪れたという事実、足利の地が学問を学ぶ人たちの憧れの地であったということに思いを馳せて欲しい。(溝尾 良隆)
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補足情報

*庠主とは校長のこと。
*年中行事:釈奠(11月23日)。
関連リンク 足利市(WEBサイト)
参考文献 足利市(WEBサイト)
足たび(一般社団法人足利市観光協会)(WEBサイト)
とちぎ旅ネット(公益社団法人栃木県観光物産協会)(WEBサイト)
パンフレット「足利學校」
『栃木県の歴史散歩』山川出版、2007年

2022年06月現在

※交通アクセスや料金等に関する情報は、関連リンクをご覧ください。