明治生命館めいじせいめいかん

JR東京駅、JR有楽町駅、それぞれから徒歩5分、堀端に面して建つ。1928 (昭和3)年、設計を依頼された曾禰達蔵*の提案で、設計には指名コンペ方式が提案され、建築家8名を推薦。採用されたのが、東京美術学校(現東京藝術大学)教授、岡田信一郎の設計案だった。当初は旧社屋(三菱2号館)を残し、隣接して新社屋を建設する予定だったが、新旧両敷地を合わせた建築こそ理想、との岡田の進言により、旧社屋は取り壊された。岡田信一郎は着工後まもなく急逝し、代わって設計監督に就任し、1934(昭和9)年に竣工にこぎつけたのは、実弟岡田捷五郎である。
 本館は建築学的に優れているが、全国に知れ渡ったのは、第二次世界大戦後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)により接収され、アメリカ極東空軍司令部として使用されることになったことである。最高司令官の諮問機関として、米・英・中・ソの4か国代表による対日理事会が設置され、1946(昭和21)年4月5日、その第1回会議が2階会議室で開催された。対日理事会は2週間に1回開催され、サンフランシスコ講話条約が発効され、GHQが廃止された1952(昭和27)年まで、会議は164回に及んだ。アメリカ軍から正式に返還されたのは、1956(昭和31)年で、復旧工事を終え、1957(昭和32)年1月から、明治生命として事業を開始した。
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みどころ

GHQが使用し、対日理事会が開催された2階の会議室・応接室・食堂など、日本の歴史の1ページをつくった諸室を一般公開している。1階の静嘉堂美術館は、岩崎彌之助(三菱財閥2代社長)、小彌太(4代社長)の父子が収集したコレクションを公開する。
 主要なデザインは、古代ギリシア・ローマを源流とする古典主義様式でまとめられている。なかでも5層分を貫く巨大なコリント式の列柱が立ち並ぶ外観は、圧倒的な力感を見せる。列柱はエンタシスと呼ばれ、微妙なふくらみが付けられ、上部へ行くほど細くなっている。建物全体は、古典主義建築の伝統的な壁面分割(3層構成)が踏襲されている。内観、1階は荘厳な雰囲気が漂う空間で、イタリア産をはじめとする各種大理石が用いられている。2階の回廊は1階同様、壁、柱、柱型に大理石が用いられている。一方、応接室、執務室、会議室、食堂では、木材が主役となって、落ち着いた雰囲気でまとめられている。
 1997(平成9)年、昭和の建築物として、初めての重要文化財に指定された。このビルを保存するために、東京都の都市計画に基づく重要文化財特別型特定街区制度の適用を受けて、隣接する明治安田生命ビルに容積率を移転した。
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補足情報

*曾禰達蔵:コンドルの推薦で、「一丁ロンドン」の三菱1号館から7号館までを建築する。
関連リンク 「重要文化財明治生命館について」明治安田(WEBサイト)
参考文献 「重要文化財明治生命館について」明治安田(WEBサイト)
「日本の歴史的建造物」光井 渉 中公新書

2025年06月現在

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