韮山反射炉にらやまはんしゃろ

伊豆箱根鉄道伊豆長岡駅から東へ約1.5kmにある。反射炉*1は韮山の代官・江川太郎左衛門英龍*2が、国防上の必要から幕府に建議進言して、1855(安政2)年に築いた金属溶解炉。当初、建設地は下田港近くに予定されていたが、1854(安政元)年、ペリー艦隊の下田入港により当地で混乱が起き、韮山代官所に近い現在地で着工することになった。蘭書の記述をもとに、独自で建造しようとしたが、苦難が続き竣工を見ないまま英龍は病死。跡を継いだ息子英敏が受け継ぎ、当時先進的であった佐賀藩の技術支援を受けつつ、連双2基4炉の反射炉本体とその周辺の関連施設を完成させた。
 1864(元治元)年まで幕府直営反射炉として利用され、鉄製カノン砲、青銅製野戦砲などの西洋式大砲が鋳造された。1,700℃の高温に耐える良質の耐火煉瓦は、天城山麓、河津町梨本から土を運んで作ったものといわれている。
 なお、反射炉の北3kmにある韮山城跡の近くには、国指定重要文化財となっている「江川家住宅(江川邸)」*3があり、江川家が1600年代から居宅及び韮山役所としていた屋敷跡が公開されている。
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みどころ

世界文化遺産登録に伴いガイダンスセンターや周辺施設の整備が行われ、反射炉に関するガイダンス映像や実物の反射炉を前にボランティアガイドによる解説など、見学者にとってこの史跡の意義を理解しやすいようになっている。反射炉の南側の小高い丘には茶畑が広がり、その展望台からは富士山と反射炉の2つの世界遺産を同時に眺めることができる。
 3kmほど北にある江川家住宅(江川邸)では、韮山代官として300年近く続いた江川家の歴史を、重厚な梁や天井に垣間見ることができる。
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補足情報

*1 反射炉:砂鉄や鉄鉱石から作り出した炭素などを多く含む銑鉄を溶解し、大砲などを鋳造するための炉。銑鉄の溶解には1,700℃ほどの高温が必要となるが、炉内部の溶解室の天井部分が浅いドーム形となっており、そこに炎や熱を反射させ、高温を実現する構造となっている。韮山反射炉は、大砲の製造のため連双式(2つの溶解炉)で2基を直角に配置し、同時に稼働できる構造となっている。現在は高さ16mの煙突と縦5.6m、幅5mの炉跡が遺されている。                             
*2 江川太郎左衛門英龍:1801(享和元)年に、幕府の韮山代官を世襲する江川家に生まれた。1835(天保6)年に江川家第36代当主になると同時に韮山代官に就任。代官は、勘定奉行のもと徳川家直轄領の支配を代行する地方行政官で、韮山代官は伊豆・駿河・相模・甲斐・武蔵などに点在する直轄領を担当した。英龍は「天保の飢饉」「黒船来航」など、世情不安の中、窮民の救済や産業振興などに力を入れ、その行政手腕が高く評価された。1855(安政2)年に没した。                                       
*3 江川家住宅(江川邸):現在の敷地は東側の平地部分と西側の天神山からなり、平地部分は東西約150m、南北約200m、直角三角形の形状で、敷地内に主屋を中心に、表門、書院、東蔵をはじめ5棟の蔵が遺されている。主屋は1600年頃の建築とされ、その後、玄関部分の改築や書院の整備など改築や増築が加えられたものである。
関連リンク いで湯のまち 伊豆の国市観光情報(伊豆の国市)(WEBサイト)
参考文献 いで湯のまち 伊豆の国市観光情報(伊豆の国市)(WEBサイト)
伊豆の国市(WEBサイト)
重要文化財 江川邸(江川邸公開事務室)(WEBサイト)
『静岡県の歴史散歩』静岡県日本史教育研究会=編 山川出版社

2023年10月現在

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