旧東京音楽学校奏楽堂
JR上野駅・京成上野駅から近い上野公園内にある音楽ホール兼音楽資料館。1890(明治23)年に東京音楽学校(現在の東京藝術大学音楽学部)の校舎として建てられ、2階には日本初の西洋式音楽ホール「奏楽堂」を備える。
国の重要文化財に指定された学校建築であり、現在は「生きた文化財」として建物が公開されているほか、演奏会や音楽資料の展示も行っている。
東京音楽学校時代には、瀧廉太郎や山田耕筰など、日本を代表する音楽家たちが学び、このホールの舞台に立った。また、モーツアルトやベートーヴェンなどの作品の日本初演も行われ、明治から昭和初期にかけての日本におけるクラシック音楽の普及・発展に大きな役割を果たしてきた。
1960年代後半(昭和40年代)以降は老朽化により解体や都外への移築も検討されたが、卒業生らの保存活動の末に台東区が譲り受け、現在の上野公園内に移築・復原された。
1987(昭和62)年に「台東区立旧東京音楽学校奏楽堂」として一般公開を開始し、翌1988(昭和63)年には、国の重要文化財の指定を受けている。
ホール内は天井をヴォールト型(かまぼこ型)にくりぬき、四隅を直角ではなく丸くするなど、音響的な配慮を施すほか、遮音のために壁の中に藁束を詰めるなどの工夫がされている。ホールにあるパイプオルガンは、コンサート用としては日本最古のもので、現在もコンサート等で音色を聴くことができる。
国の重要文化財に指定された学校建築であり、現在は「生きた文化財」として建物が公開されているほか、演奏会や音楽資料の展示も行っている。
東京音楽学校時代には、瀧廉太郎や山田耕筰など、日本を代表する音楽家たちが学び、このホールの舞台に立った。また、モーツアルトやベートーヴェンなどの作品の日本初演も行われ、明治から昭和初期にかけての日本におけるクラシック音楽の普及・発展に大きな役割を果たしてきた。
1960年代後半(昭和40年代)以降は老朽化により解体や都外への移築も検討されたが、卒業生らの保存活動の末に台東区が譲り受け、現在の上野公園内に移築・復原された。
1987(昭和62)年に「台東区立旧東京音楽学校奏楽堂」として一般公開を開始し、翌1988(昭和63)年には、国の重要文化財の指定を受けている。
ホール内は天井をヴォールト型(かまぼこ型)にくりぬき、四隅を直角ではなく丸くするなど、音響的な配慮を施すほか、遮音のために壁の中に藁束を詰めるなどの工夫がされている。ホールにあるパイプオルガンは、コンサート用としては日本最古のもので、現在もコンサート等で音色を聴くことができる。

みどころ
台東区の所有になり、建物は一般公開され、演奏会も開催されている。休館日があるほか、演奏日には内部見学ができないため、事前に情報を調べたうえで訪れたい。むしろ、単なる見学ではなく、日本最古の音楽ホールでの演奏を楽しむことをおすすめする。

補足情報
*パイプオルガン:奏楽堂のパイプオルガンは、イギリスのアボット・スミス社製で、もともと紀州徳川家第16代当主の徳川頼貞(1892-1954)が私財を投じて建設した麻布南葵楽堂に、1920(大正9)年に設置したもの。しかし、1923(大正12)年の関東大震災により南葵楽堂が被災したため、パイプオルガンは1928(昭和3)年に東京音楽学校に寄贈された。移設以来オルガニストの育成に貢献したパイプオルガンだったが、1960年代後半(昭和40年代)には演奏に耐えらない状態となり、奏楽堂移設の際に解体される予定だった。しかし「奏楽堂のパイプオルガンをよみがえらせる会」の活動により保存が決定し、パイプオルガンも奏楽堂と共に修理・移設された。
関連リンク | 旧東京音楽学校奏楽堂(WEBサイト) |
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参考文献 |
旧東京音楽学校奏楽堂(WEBサイト) 「絵と写真でたどる台東区の文化と観光」台東区 旧東京音楽学校奏楽堂前の説明板 |
2025年06月現在
※交通アクセスや料金等に関する情報は、関連リンクをご覧ください。