黒部ダム(黒部湖)くろべだむ(くろべこ)

黒部ダムは、富山県東部を流れる黒部川の標高1,454mの地点に、関西電力が建設した水力発電専用のダムである。堤高186mは日本一の高さで、アーチ式ダムとしては世界でもトップクラス。通称「くろよん」と呼ばれている*1。
 1956(昭和31)年に着工、7年の歳月をかけて1963年(昭和38年)6月5日に完成した。工費は513億円、1,000万人もの人の手による建設で、途中に多くの犠牲者を出す難工事だった*2。
 そのスケールの大きさと想像を絶する困難さから「世紀の大事業」といわれた。発電所をはじめ各種の発電設備、黒部平からのケーブル、扇沢からの関電トンネル電気バスとすべてが地下にあるのは、雪害を避けるためだが、自然景観を守るための配慮でもある。
 この黒部ダムによって黒部川の御前沢をせき止めてできた総貯水量約2億t(東京ドーム161杯分)の水をたたえる人造湖が黒部湖である。西の立山連峰、東の後立山連峰と、そそり立つ山なみにはさまれて、紺碧の湖水が南北にのびている。堰堤北側に展望台とレストハウスがある。また左岸の平ノ小屋から五色ガ原・浄土山を超えて室堂に至る登山コースがある。
#

みどころ

立山黒部アルペンルート*3の黒部湖駅(黒部平駅と黒部ケーブルカーでつながる立山側の駅)と黒部ダム駅(長野県の扇沢駅と関電トンネル電気バスでつながる駅)間は、高さ186m、長さ492mの黒部ダム堰堤上をエメラルドに輝く黒部湖を間直に眺めながら徒歩で移動することになる。
 黒部ダム駅側には、駅から220段の階段を登った標高1,508mのところに展望台が設定されており、そこから黒部ダムを見下ろし、立山連峰を俯瞰できる。ダム展望台から外階段を降りていくと新展望広場があり、レインボーテラスでは毎秒10tから15tもの水が吹き出す大放水(観光放水)を間近に眺め、水しぶきが風で吹き上がるミストシャワーが体験できる。
 また、特設会場では黒部ダム建設の歴史を紹介、映画『黒部の太陽』*4の撮影セットを展示しており、難工事を偲ぶことができる。「世紀の大工事」と言われた黒部ダム建設で殉職した171人の名前が刻まれた殉職者慰霊碑慰霊碑と「六体の人物像」もある。
 近年は、「関電トンネル破砕帯見学ツアー」がイベント的に開催(確認先:大町市プロモーション委員会)されており、黒部ダム建設工事において最も困難を極めた関電トンネル内の破砕帯区間(約80m)を歩いて見学することができる。普段は、降り立つことができない関電トンネル内を歩いたり、破砕帯から出る湧き水に触れるなど、貴重な体験となるだろう。
#

補足情報

*1:黒部川は北アルプスの雪どけ水で水量が豊富かつ急流なため、水力発電適地として戦前から3つの発電所が建設されていた。当初はダム自体に正式名称はなく、発電所が黒部川第四発電所だったため「黒部第四ダム」、略称で「黒四ダム」と呼ばれた。その後、正式名称が黒部ダムに。
*2:電力供給が国家的課題だった戦後復興期に、関電は最新鋭の火力発電所を導入した。しかし火力発電は需要の変動に柔軟に対応することが難しいため、大規模な水力発電所が構想された。関西電力社長の太田垣士朗が自ら陣頭指揮。当時の金額で513億円の工費は、関電の年間電気収入の約半分にあたり、現在の貨幣価値だと1兆円を超える。後に映画「黒部の太陽」になった大町トンネルが大破砕帯にぶつかるなど困難が相次ぎ、171人の殉職者を出した難工事で、関西電力にとっては社運をかけた一大プロジェクトだった。難工事の状況は吉村昭著『高熱隧道』(新潮社)にリアルに記述されている。
*3 立山黒部アルペンルート:標高3,000m級の峰々が連なる北アルプスを貫く山岳観光ルート。総延長37.2km、最大高低差は1,975m。中部山岳国立公園内にそのほぼ全区間がある。富山県側の富山県立山町立山駅-(立山ケーブルカー)-美女平-(立山高原バス)-弥陀ヶ原-(立山高原バス)-室堂-(立山トンネル電気バス)-大観峰-(立山ロープウェイ)-黒部平-(黒部ケーブルカー)-黒部ダム-(関電トンネル電気バス)-長野県大町市扇沢の間を数種類の乗り物を乗り継いで、移り変わる山岳景観を容易に楽しむことができる。
*4 映画『黒部の太陽』は毎日新聞編集委員であった木本正次による1964年発表の同名の小説を映画化したもの。戦後日本映画を象徴する2大スターの石原裕次郎と三船敏郎が主演し、石原プロモーションと三船プロダクションが共同制作。1968年に初上映された。