旧国鉄宮原線コンクリートアーチ橋梁群きゅうこくてつみやのはるせんこんくりーとあーちきょうりょうぐん

旧国鉄宮原線は、大分県南西部の九重町恵良駅から熊本県最北端の小国町肥後小国駅までの26.6kmを結ぶ線路で、35年という工期をかけて1954(昭和29)年に開通した。通勤・通学や木材等の搬送に使われていたが、国鉄再建法による赤字路線の廃止により、開通から30年後の1984(昭和59)年、九州で最初に廃線となった。
 山間部を通る線路であったことから多くのトンネルや橋が造られ、小国町には、1937(昭和12)年から1939(昭和14)年頃に架けられた7つのコンクリートアーチ橋*が現在も残っている。7つの橋のいくつかは、第二次世界大戦による鉄材不足のため、当時の鉄筋節約という国策に応じた無筋コンクリート造のアーチ橋と言われる。
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みどころ

7つの橋のうち訪問しやすいのは幸野川橋梁と北里橋梁で、車以外に歩いて行くこともできる。道の駅小国ゆうステーションから旧国鉄北里駅跡*まで、廃線跡の約4kmが遊歩道として整備され、当時のまま残る鉄道跡やトンネルの中を歩く。森林浴や季節の草花も楽しめるので、ウォーキングコースとして人気である。
 遊歩道の中間地点にある幸野川橋梁からは、のどかな田園風景が一望できる。歩道に下りてみると、見上げるほどの脚の長い大きな橋で、橋脚にモダンなデザインの3つの穴があいているのがわかる。北里橋梁は遊歩道の最終地点にあり、現在は歩道橋として利用されている。北里橋梁の近くには、1,000円札の肖像となった小国町出身の北里柴三郎博士の記念館がある。
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補足情報

*7つのコンクリートアーチ橋:肥後小国駅から恵良駅方面に向かって、幸野川(こうのがわ)橋梁、北里(きたざと)橋梁、堂山(どうやま)橋梁*、汐井川(しおいがわ)橋梁*、堀田(ほりた)橋梁*、菅迫(すげのさこ)橋梁*、廣平(ひろだいら)橋梁*の7つ。
・幸野川橋梁:1939(昭和14)年頃に造られた橋長116mのコンクリート造6連アーチ橋
・北里橋梁:1938(昭和13)年頃に造られた橋長60mのコンクリート造5連アーチ橋
・堂山橋梁:1938(昭和13)年頃に造られた橋長36mのコンクリート造3連アーチ橋
・汐井川橋梁:1938(昭和13)年頃に造られた橋長36mのコンクリート造3連アーチ橋。橋脚の長さを除き、堂山橋梁と汐井川橋梁はほぼ同じ形と大きさで、二つの橋は間に丘を挟んで並ぶ。
・堀田橋梁:1938(昭和13)年頃に造られた橋長46mのコンクリート造4連アーチ橋
・菅迫橋梁:1937(昭和12)年に造られた橋長136mのコンクリート造11連アーチ橋。橋長、橋梁の高さともに旧国鉄宮原線の橋梁のうち最大。
・廣平橋梁:1937(昭和13)年に造られた橋長80mのコンクリート造9連アーチ橋
*旧国鉄北里駅跡:ホーム跡には当時の石垣が残っている。
関連リンク 小国町産業課(WEBサイト)
参考文献 小国町役場(WEBサイト)
「旧国鉄宮原線遊歩道」小国町役場商工企業促進課
文化庁文化遺産オンライン(WEBサイト)旧国鉄宮原線幸野川橋梁
文化庁文化遺産オンライン(WEBサイト)旧国鉄宮原線北里橋梁

2024年11月現在

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