太宰治記念館「斜陽館」だざいおさむきねんかん「しゃようかん」

津軽鉄道金木駅から徒歩7分のところにある。明治の大地主、津島源右衛門(太宰治の父)が建築した入母屋造りの建物で、1907(明治40)年6月に落成した。米蔵にいたるまでヒバを使い、階下11室278坪、2階8室116坪、付属建物や泉水を配した庭園など合わせて宅地約680坪の豪邸である。
 戦後になってから津島家が手放し、1950(昭和25)年から旅館「斜陽館」として町の観光名所となり、全国から多くのファンが訪れていた。1996(平成8)年当時の金木町が買取り、復元、修復後1998(平成10)年金木町太宰治記念館「斜陽館」として開館した。名前の「斜陽館」は太宰の小説の題名「斜陽」からとったもの。内部は、ほぼ原形のままに残されている。
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みどころ

この家で生まれた太宰治*は地元で「地主貴族の子」として育った。このことが鋭敏な感性の持ち主である太宰の生涯に影の様につきまとうコンプレックスでもあった。同居していた叔母きゑや子守の越野タケに育てられた。添い寝しながら毎晩聞いた昔ッコ*の独特なリズムと旋律は、後の太宰が「語り口調の天才」と呼ばれる原体験になっていたかもと言われている(「奥津軽五所川原」パンフレットの中の「太宰ミュージアムより抜粋)。
 道路に面して堅固な赤レンガ塀が続き、当時の隆盛を偲ばせる。太宰治の生家・旧津島邸は「思ひ出」や「津軽」の舞台であり、太宰治のファン憧れの建物と言える。太宰が生前着用していた二重廻しのマントや執筆用具、初版本、翻訳本、書簡などの他、津島家で使用していた調度品なども資料展示室で見ることができる。また、太宰治と関わりの深い人々の証言や建物の修復工事の記録のビデオも鑑賞できる。
 斜陽館の周辺には津軽三味線会館(別掲参照)、観光物産館産直メロスがあり、これらの施設もあわせて回ることで半日楽しめよう。
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補足情報

*太宰治:1909~1948年。作家。本名津島修治。1909(明治42)年大地主の六男として誕生。東京帝国大仏文科在学中に、本格的な作家活動に入り、1933~1948(昭和8~23)年にかけて、次々と佳作を発表した。その文章の底流には鋭敏な感受性がもたらす人間的葛藤と、故郷津軽の風土に根ざすほの暗い頽廃的なものを秘めている。昭和23年、玉川上水で自殺。代表作に「斜陽」「富嶽百景」「走れメロス」「津軽」など。
*昔ッコ:津軽の昔話。土地言葉・津軽弁で、その語りの響きが心地よい。
関連リンク 太宰ミュージアム(WEBサイト)
参考文献 太宰ミュージアム(WEBサイト)
五所川原市(WEBサイト)
『太宰ミュージアム』パンフレット 五所川原市
『太宰治記念館「斜陽館」』パンフレット
『青森県の歴史散歩』青森県高等学校地方史研究会(編) 山川出版社

2023年10月現在

※交通アクセスや料金等に関する情報は、関連リンクをご覧ください。

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