海上自衛隊第1術科学校(旧海軍兵学校)
広島市街から南に約17km、呉市街から西に約6km、瀬戸内海に浮かぶ江田島(えだじま)に位置する。
海軍兵学校が東京の築地から移築されたのは1888(明治21)年で、太平洋戦争終戦まで多くの海軍士官を輩出した。終戦により1945(昭和20)年に57年の歴史に幕を閉じ、以後11年間は進駐軍が施設を接収し使用していた。1956(昭和31)年に日本に返還され、当時横須賀にあった術科学校が江田島に移転、その後、1957(昭和32)年に幹部候補生学校が独立開校した。現在は、海上自衛隊の教育機関である「第1術科学校」「幹部候補生学校」となっている。
通称「赤レンガ」と呼ばれる幹部候補生学校(1893(明治26)年建築)、山口県徳山沖にある黒髪島で採掘された御影石(花崗岩)でできた重厚な建物の大講堂(1917(大正6)年建築)、海軍関係の資料約1,000点を展示する教育参考館(1936(昭和11)年建築)などが整然と建ち並ぶ。
海軍兵学校が東京の築地から移築されたのは1888(明治21)年で、太平洋戦争終戦まで多くの海軍士官を輩出した。終戦により1945(昭和20)年に57年の歴史に幕を閉じ、以後11年間は進駐軍が施設を接収し使用していた。1956(昭和31)年に日本に返還され、当時横須賀にあった術科学校が江田島に移転、その後、1957(昭和32)年に幹部候補生学校が独立開校した。現在は、海上自衛隊の教育機関である「第1術科学校」「幹部候補生学校」となっている。
通称「赤レンガ」と呼ばれる幹部候補生学校(1893(明治26)年建築)、山口県徳山沖にある黒髪島で採掘された御影石(花崗岩)でできた重厚な建物の大講堂(1917(大正6)年建築)、海軍関係の資料約1,000点を展示する教育参考館(1936(昭和11)年建築)などが整然と建ち並ぶ。

みどころ
一般の観光地ではなく海上自衛隊の教育機関であり、ガイドの説明を受けながら見学コースを巡る。見学に際してはルール遵守が必須。
大講堂で使用されている石材は御影石(花崗岩)であり、講堂内の床は全面石畳、天井はアーチ型になっており、舵輪をかたどったシャンデリアが設けてあり、厳かな雰囲気が漂う。海軍兵学校時代から入校式や卒業式等の儀式が行われた場所であり、今でも各種行事が行われる。
通称「赤レンガ」と呼ばれる幹部候補生学校は、旧海軍兵学校のシンボルともいえる全長144mにおよぶ建物。重厚な赤レンガを用いて造られた左右対称の建物であり、風格を感じる。外観側面からは、まっすぐに伸びる印象的な長い廊下を覗くことができる。
大講堂で使用されている石材は御影石(花崗岩)であり、講堂内の床は全面石畳、天井はアーチ型になっており、舵輪をかたどったシャンデリアが設けてあり、厳かな雰囲気が漂う。海軍兵学校時代から入校式や卒業式等の儀式が行われた場所であり、今でも各種行事が行われる。
通称「赤レンガ」と呼ばれる幹部候補生学校は、旧海軍兵学校のシンボルともいえる全長144mにおよぶ建物。重厚な赤レンガを用いて造られた左右対称の建物であり、風格を感じる。外観側面からは、まっすぐに伸びる印象的な長い廊下を覗くことができる。
関連リンク | 海上自衛隊第1術科学校(WEBサイト) |
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参考文献 |
海上自衛隊第1術科学校(WEBサイト) 江田島市観光協会(WEBサイト) |
2025年02月現在
※交通アクセスや料金等に関する情報は、関連リンクをご覧ください。