三角西港みすみにしこう

熊本県中央部の宇城市、九州自動車道松橋ICから車で約50分、JR三角駅から車で約10分、宇土半島の西端にある。
 日本に現存する明治時代の石積港湾施設で、石積の埠頭、水路、建造物などがほぼ完全な形で残っている。
 1876(明治9)年の神風連の乱や1877(明治10)年の西南の役で焦土と化した熊本県の殖産興業を目的として港湾を建設することになり、当初、熊本市の白川河口の百貫石港が候補地とされたが、内務省派遣のオランダ人技師ローエンホルスト・ムルドル*の調査により、天然の良港がある三角への変更が進言され、当時の県知事である熊本県令富岡敬明が決定した。1884(明治17)年に建設が始まり、約3年後の1887(明治20)年に完成した。
 ムルドルの設計と日本人石工の技術が融合した、長さ756mにおよぶ石積工法の埠頭、3つの浮桟橋、整然とした道路、排水路、石橋などの港湾施設が当時の最先端の都市計画のもとに築かれ、米、麦、石炭などが輸出されて宇土・天草地方の行政、経済の中心地として栄えたが、1899(明治32)年に九州鉄道三角線が開通し三角駅前に三角東港が新設されると、三角西港は衰退した。
 日本における最初期の本格的近代港湾施設で、西欧式の設計に基づき熊本の高度な石造技術が発揮された大規模土木構造物として、2002(平成14)年に国の重要文化財に指定された。2015(平成27)年には「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の一つとして世界文化遺産に登録された。
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みどころ

三角西港を含む三角浦は海と山に囲まれて、古くからの景勝地として知られる。小泉八雲などの文学作品の舞台となるほか、別荘が建つ保養の地として賑わっていた。
 港には明治時代の建物が修復・復元されて、タイムスリップしたかのよう。当時のまま残る石積の埠頭や海に注ぐ排水路は、肥後の石工たちの見事な石造技術を今に伝えている。海と山の自然景観の中に港の入り口に架かる二つの橋*がアクセントのように見え、穏やかな潮風は心地よく、とても静かなところ。観光以外にのんびり釣りや散歩を楽しむ人もいる。
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補足情報

*ローエンホルスト・ムルドル:1848年オランダライデンに生まれる。1879(明治12)年、31歳で内務省土木局の一等工師(水理工師)として来日する。1890(明治23)年までの11年間にわたり、新潟港、東京港、大阪港など、各地で築港の計画や調査を担当した。
*二つの橋:三角港の入口に架かるアーチ橋の天城橋と天草五橋1号橋の天門橋。
関連リンク 宇城市経済部商工観光課(WEBサイト)
参考文献 宇城市経済部商工観光課(WEBサイト)
西鉄エージェンシー 世界のくまもと(WEBサイト)
「熊本県の歴史散歩」山川出版社
文化遺産オンライン(WEBサイト)

2024年11月現在

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