関門トンネルかんもんとんねる

関門海峡をくぐるトンネルは、玄界灘側の鉄道トンネル、瀬戸内海側の新幹線用の新関門トンネル、その間の瀬戸内海寄りにある国道トンネルの3本がある。
 鉄道トンネルは世界で最初の海底トンネル*1で、日本においてはじめて圧気シールド工法*2を本格的に採用した海底掘削トンネルである。1936(昭和11)に着工し、下り線が1942(昭和17)年、上り線が(昭和19)に開通した。トンネルの延長は上り線3,605m、下り線3,614m、海底部は1,140m。現在、JR九州管轄の山陽本線が使用しており、1日200本程度の列車が通過している。新幹線用の新関門トンネルの総延長は18,713mで、そのうち、関門海峡海底区間は880mで、総延長は長いが大半は陸上部にあるトンネルである。
 国道トンネルは1958(昭和33)年開通。2階建海底トンネルで、上部の車道は長さ3,461m、幅7.5m、片側1車線の2車線。下部の人道は780m、幅3.1m。人道は、下関側は「みもすそ川公園」*3前の入口からエレベーターで地下約51mまで降り、門司側は和布刈(めかり)神社*4の前の入口からエレベーターで地下約60mまで降りる。両方向からトンネル中央部に向かって緩い下り坂になっており、中央の平坦部には、路面上に山口県と福岡県の県境の表示が書かれている。片道15分、往復30分ほどで歩ける。料金は歩行者無料、自転車、原付は押して歩くことになる(有料)。下関側の車道入口は約1.4km、門司側は1.5kmほど離れたところにある。
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みどころ

関門トンネルは、鉄道トンネルを列車に乗って通る楽しみもあるが、やはり、国道トンネルの人道を歩くことをお勧めする。トンネルの人道を歩くと言っても、エレベーターで地下に降り、どこにでもあるような地下歩道を延々と歩くだけのものだが、海の下を歩いているという意識がなぜか気持ちを高揚させてくれる。トンネルは緩やかな下り坂が続き、中間点あたりで平坦になり、そこが山口県と福岡県の境となる。ここで記念写真を撮る人たちも多い。その後は、逆に徐々に緩やかな坂を登り、また、エレベーターで地上に出る。
 ただ、それだけだが下関側から入った場合、門司側の地上に出て下関側を海峡越しに眺めると、自分の足で海峡を渡った実感がことさらに湧く。観光客のみならず、散歩、ランニング、通勤、小学生の社会見学、インバウンド客など多様な人々が、黙々と、あるいはおしゃべりしながら楽しそうに歩いているのを見かけるのは、それだけで心温まる。関門の両サイドは、歴史的な場所になっているので、単なる遊歩道だが面白い。
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補足情報

*1 海底トンネル:明治末から大正期には艀に貨車を積み本州・九州間を結んでいたが、輸送量の増大に伴い、架橋あるいはトンネル掘削案が検討された。その結果、施工費も少なく、国防上も標的になりにくいという観点から海底トンネルが選択された。
*2 圧気シールド工法:シールドと呼ばれる筒で切羽(掘削の最先端部)後方のトンネルの壁面を一時的に支えながら、切羽を掘削しシールドを前進させて、その後方に壁面を固めていく工法。
*3 みもすそ川公園:国道9号線を挟み、潮流が速いことで知られる早鞆ノ瀬戸に面した壇ノ浦海岸に「みもすそ川公園」がある。公園には壇ノ浦古戦場跡の石碑が立ち、そのすぐ左手には、壇ノ浦の戦で対峙した源義経と平知盛の銅像がある。この戦いにおける平家の敗因は、この海岸の潮流の速さと複雑さに加え、地元の水軍を率いて水手・梶取を射させ、敵の混乱に乗じた義経の軍略手腕によるといわれる。同じ壇ノ浦海岸には、幕末、四カ国連合艦隊と交戦した砲台跡もある。
*4 和布刈神社:社伝によると、神功皇后が朝鮮出兵しその帰還に折りに、神託に対する御礼として、同社を創建したという伝承をもつ。現在は関門海峡の汀に小さな社殿と燈籠等を残すのみだが、社前となる関門海峡大橋の下を頻繁に行き交う大型船、タグボートなどいろいろな船の海の安全を見守っている。主祭神は、月の女神で潮の満ち引きを司る「瀬織津姫」である。「和布」はワカメのことを指し、毎年旧暦の1月1日に行われる和布刈神事で知られる。