慶應義塾大学(三田)けいおうぎじゅくだいがく(みた)

JR田町駅の北西、10分足らずの高台に新旧校舎が棟を並べる三田キャンパスがある。1858(安政5)年に福澤諭吉*が、鉄砲洲(現・中央区明石町)の豊前中津藩奥平家の中屋敷に蘭学塾を開いたのが始まりで、1868(慶應4)年、芝新銭座(現浜松町)に移転した際に、当時の年号をとって慶應義塾と名付けた。「義塾」には、英語の「パブリック・スクール」を参考に、新しい知識のための学塾という意味が込められている。3年後、1871(明治4)年に三田の高台にあった旧島原藩中屋敷跡地を貸下げられて移転し、翌年に払下げをうけ、現在の三田キャンパスに至っている。独立自尊を建学の精神にした総合大学で、早稲田大学とともに私学の雄として並び立っている。構内には「福澤諭吉終焉之地」の記念碑や佐藤春夫の詩碑など数多くの文学碑や美術作品が散在している。
#

みどころ

慶應義塾の代表的な応援歌のひとつが「丘の上」と題されているように、キャンパスへ続く道はすべて坂道。登りきったところが学びの場である。近代的な校舎が立ち並ぶ中に、赤煉瓦(れんが)造でステンドグラスが美しい図書館旧館*、海鼠(なまこ)壁の三田演説館*など、歴史的な建物が残る。その他、三田キャンパスには有名な『学問のすゝめ』の冒頭「天は人の上に・・・」がきざまれている東館アーケード入口*、昔の正門であった幻の門、学生たちの待ち合わせ場所となる大銀杏など、見るべきものは多い。
 田町駅に抜ける途中に「慶應仲通り商店街」に数多くの飲食店がある。
#

補足情報

*福澤諭吉:1835~1901。明治の思想家、教育家、豊前中津藩士。21歳のとき長崎で蘭学を学び、翌年緒方洪庵の門に入る。1860(万延元)年から数回欧米に渡り、海外事情の理解を深める。慶應義塾を開設し、日本学士院(当時は東京学士会院)の初代会長を務める。時事新報を発行する。『西洋事情』・『学問のすゝめ』・『通俗民権論』など多くの著書を出す。
*図書館旧館:慶應義塾創立50周年を記念して建設され、1912(明治45)年に竣工した。赤煉瓦造のイギリス風ゴシック建築で、本館、書庫および八角塔からなっている。収蔵能力20万冊は完成当時の大学図書館として他に類を見ない規模であった。
*三田演説館:福澤諭吉が演説の訓練のためにアメリカの多くの会堂を参考に建てたもの。日本最初の演説会堂で1875(明治8)年の竣工。木造、2階建、海鼠壁、寄棟造、瓦葺、玄関入口付。総床面積は約190m2で、内部の3方は階上見物席、中央は吹き抜けになっている。
*東館東西両側のアーケード入口:上部のペンマークの下には、「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」を意味するラテン語「HOMO NEC VLLVS CVIQVAM PRAEPOSITVS NEC SVBDITVS CREATVR」が記されている。直訳すると、「いかなる人もある者の上につくられてはいないし、いかなる人もある者の下につくられてはいない」となり、日本語の「天」がもつ語感を表すため、受身の形かつ否定により表現されている。
関連リンク 慶應義塾大学三田キャンパス(学校法人慶應義塾)(WEBサイト)
参考文献 慶應義塾大学三田キャンパス(学校法人慶應義塾)(WEBサイト)

2025年06月現在

※交通アクセスや料金等に関する情報は、関連リンクをご覧ください。