旧致道館きゅうちどうかん

JR羽越本線鶴岡駅から南へ約2km、鶴岡公園の東南、鶴岡市役所前に位置する。致道館は庄内藩*酒井家第9代藩主酒井忠徳が藩制の緩みから武士の風紀の退廃を案じ、学問により正すことを目指し、1805(文化2)年に創設した庄内藩の藩校。致道館の名称は、論語の「君子學以致其道(君子学ンデ以テソノ道ヲ致ス)」による。当初は鶴ケ岡城の城外にあったが、1816(文化13) 年に10代忠器(ただかた)によって鶴ヶ岡城三の丸内の現在地へ移された。約1万5,000m2の敷地には、現存する聖廟、講堂、御入間、表御門、西御門、東御門のほかに神庫や養老堂、句読所、寄宿舎(本舎)などが建ち並び、武術稽古所、矢場、馬場などまで設けられていた。受講生は10歳から30歳くらいまで350名ほどいたといわれる。創始者の酒井忠徳は致道館の教育目的を「国家の御用に立つ人物」、「人情に達し特務を知る人物」の育成にあるとしている。教育の中心は、幕府の方針に従い諸藩が朱子学を藩学とする中で、庄内藩は歴史的かつ実証的な古文辞学を軸とする徂徠学*を教学とした。教育方針は徂徠学の思想に基づき、「天性重視個性伸長」と「自学自習」、互いに議論をしながら学習する「会業の重視」 であり、自ら考え学ぶ意識を高めることを重んじた。
 致道館は藩校として、1873(明治6)年までの70年間、庄内藩の人材育成の中心的な役割を務めた。
 明治維新以降、致道館の建物は鶴岡県庁舎、鶴岡警察署、尋常小学校などに活用され、1972(昭和47)年からは創建当時の面積の約半分にあたる約7,000m2の敷地と建物が一般公開されるようになった。1983(昭和58)年に発掘調査が行われ、その結果に基づき、講堂の東側の広場には、養老堂、職員室、操揚生室をはじめ現存しない校舎の主要な部分について、当時の建物の位置を平面図的に実際の広さで表示している。
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みどころ

この藩校建築は、現存するものとしては東北地方では唯一のものとされる。講堂などの修復保存がよく、藩校時代の雰囲気をよく残している。
 館内の展示についても当時の学制、教育内容などについての資料及び史料が豊富で分かりやすい。致道博物館の展示との連携性をさらに深めると、庄内藩や鶴岡の歴史、文化が理解しやすくなると思われる。(志賀 典人)
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補足情報

*庄内藩:出羽国庄内地方の大部分を領有し、鶴岡藩ともいう。1622(元和8)年、山形藩最上氏の改易により、信州松代から酒井忠勝が13万8,000石で入部。譜代大名として奥羽の外様各藩への重しとして配置された。鶴岡を城下に12代にわたり、明治維新まで同地を治めた。明治維新では、奥羽越列藩同盟の中心として新政府軍に最後まで抵抗を示した。
*荻生徂徠:1666~1728年。儒学者。初め朱子学を学んだが、その後、古典主義的で実証的な古文辞学を唱え、日本独自の儒学を確立し、本居宣長らの国学にも影響を与えた。柳沢吉保・徳川吉宗に重用された。
関連リンク 致道館(WEBサイト)
関連図書 デジタルコレクション『論語 子張第19の七(岩波書店)』国立国会図書館、『大辞林』三省堂(WEB版)、
参考文献 致道館(WEBサイト)
致道館内の展示パネル
つるおか観光ナビ(一般社団法人DEGAM鶴岡ツーリズムビューロー)(WEBサイト)
鶴岡市(WEBサイト)
『Future Sight(2017年75号)』株式会社フィデア情報総研(WEBサイト)

2020年12月現在

※交通アクセスや料金等に関する情報は、関連リンクをご覧ください。

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