成巽閣
兼六園の南東の一角にある。1863(文久3)年、13代加賀藩主前田斉泰(まえだなりやす)が建てた母真龍院の隠居所。近世大名御殿建築の貴重な遺構で、1階謁見の間は幕末期の書院造の好例とされる。御殿の各室内には、前田家伝来の調度品・美術工芸品を展示し、歴史博物館として一般公開されている。同御殿は、明治維新を機に兼六園が公園化するに伴い、博物館、中学校、県議会などさまざまな公共施設が置かれたが、明治40年代以降前田家の別邸として使用されていた。
付属する茶室に、3畳台目の清香軒(せいこうけん)がある。角竹の床柱を用い、下地窓の障子を外に掛けるなどの特色がある。清香軒から眺める茶庭(露地)は飛鶴庭と呼ばれ、国の名勝に指定されている(予約制で公開中。2023年は4/1~11/30)。後藤程乗作の六地蔵の手水鉢も有名。中庭の「つくしの縁庭園」「万年青の縁庭園」ほかも、名勝に追加指定されている(公開)。
付属する茶室に、3畳台目の清香軒(せいこうけん)がある。角竹の床柱を用い、下地窓の障子を外に掛けるなどの特色がある。清香軒から眺める茶庭(露地)は飛鶴庭と呼ばれ、国の名勝に指定されている(予約制で公開中。2023年は4/1~11/30)。後藤程乗作の六地蔵の手水鉢も有名。中庭の「つくしの縁庭園」「万年青の縁庭園」ほかも、名勝に追加指定されている(公開)。
みどころ
1階が武家書院造り、2階が数奇屋風書院造りの2つの様式を持つ建造物で、風格ある佇まいが印象的。各部屋の寸法や内装の色調、また季節に合わせて衣裳や調度などが展示されている。もともと藩主の母の隠居所ということで、上層武家の女性の暮らしを髣髴とさせる。
1階の「謁見の間」をはじめ室内装飾にも見るべき点が多い。謁見の間は、上段、下段18畳からなり、上段の間と下段の間の間にある極彩色の花鳥欄間は名工武田友月(たけだゆうげつ)の作と伝わる。2階はフランスから輸入のウルトラマリンブルーをあしらった群青の間や網代(あじろ)天井の網代の間などが特徴的。
手入れされた庭園は、植栽や苔が美しく、国の名勝に指定されている。中庭をめでる「つくしの縁」は、桔木(はねぎ)構造により約20mの間に柱が一本もなく開放的。廊下もうぐいす張りの漆縁側で趣向が深い。
1階の「謁見の間」をはじめ室内装飾にも見るべき点が多い。謁見の間は、上段、下段18畳からなり、上段の間と下段の間の間にある極彩色の花鳥欄間は名工武田友月(たけだゆうげつ)の作と伝わる。2階はフランスから輸入のウルトラマリンブルーをあしらった群青の間や網代(あじろ)天井の網代の間などが特徴的。
手入れされた庭園は、植栽や苔が美しく、国の名勝に指定されている。中庭をめでる「つくしの縁」は、桔木(はねぎ)構造により約20mの間に柱が一本もなく開放的。廊下もうぐいす張りの漆縁側で趣向が深い。
補足情報
*国の名勝「成巽閣庭園」の指定内容は、主庭「飛鶴庭」(1929年指定)、中庭「つくしの縁庭園」「万年青の縁庭園」 (2017年)追加指定、前庭(2017年追加指定)。
*成巽閣の脇にある煉瓦塀は、1909(明治42)年の皇太子(のち大正天皇)行啓の際、警備のため設けられたもの。
*成巽閣の脇にある煉瓦塀は、1909(明治42)年の皇太子(のち大正天皇)行啓の際、警備のため設けられたもの。
関連リンク | 成巽閣(WEBサイト) |
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参考文献 |
成巽閣(WEBサイト) 金沢旅物語(金沢市観光協会)(WEBサイト) |
2023年08月現在
※交通アクセスや料金等に関する情報は、関連リンクをご覧ください。