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奈良県内の資源一覧

岡寺の写真

写真提供:パーソナル企画

岡寺 ( 奈良県 明日香村 )

近鉄橿原神宮前駅から東へ約5km、明日香村の東の山腹に位置する。西国三十三所観音霊場の第7番札所。龍蓋寺ともいうが、古くから地名由来の「岡寺」の名で親しまれ、現在では宗教法人としての名も「岡寺」となっている。仁王門*1をくぐり石段を上ると、本尊の塑造如意輪観音坐像*2を安置する本堂*3を中心に、古書院*4、開山堂*5、三重宝塔*6...

橘寺の写真

写真提供:パーソナル企画

橘寺 ( 奈良県 明日香村 )

近鉄吉野線飛鳥駅から東へ約2.2km、飛鳥川の左岸、川原寺跡の南に対面して建つ。現在は、田園風景のなかに本堂(太子殿)、経堂、観音堂などの堂宇*1が並ぶ。本堂には本尊で国の重要文化財に指定されている木造聖徳太子坐像*2が安置されている。なお、正式名称は仏頭山上宮皇院菩提寺という。  創建*3について明確ではないが、寺伝では聖徳...

明日香村の古墳(キトラ古墳・高松塚古墳・石舞台古墳)の写真

明日香村の古墳(キトラ古墳・高松塚古墳・石舞台古墳) ( 奈良県 明日香村 )

奈良盆地の中南部、明日香村の村内には、古代史を解き明かすために重要な古墳が数多くある。なかでもキトラ古墳、高松塚古墳、石舞台古墳はよく知られる。これらの古墳の周辺は国営飛鳥歴史公園*1のキトラ古墳周辺地区、高松塚周辺地区、石舞台地区として整備されている。  キトラ古墳は近鉄吉野線壺阪山駅から東に約1km、高松塚古墳から南...

飛鳥寺の写真

写真提供:パーソナル企画

飛鳥寺 ( 奈良県 明日香村 )

わが国最初の本格的寺院。飛鳥にあるので飛鳥寺と呼ばれるが、当初は法興寺・元興寺ともいわれた。  飛鳥寺の創建の経緯は「日本書記」に記されている。仏教受容派の蘇我氏と排除派の物部氏の対立は、587( 用明天皇2) 年、皇位継承争いと相まって戦いとなり、蘇我馬子はこの戦いに際し寺院建立と仏法流布を誓った。物部守屋が滅亡すると、...

信貴山朝護孫子寺の写真

写真提供:信貴山朝護孫子寺

信貴山朝護孫子寺 ( 奈良県 平群町 )

近鉄生駒線信貴山下駅から約2.6km、生駒山系の南端、信貴山(標高437m)の南東中腹に広大な境内をもつ。ずらりと並ぶ千体地蔵を右に仁王門をくぐり、無数の石燈篭のつづく参道の先に本堂をはじめ朱塗の三重塔、多宝塔、霊宝館*1など多くの堂宇が軒を接している。なかでも鉄筋コンクリートで1958(昭和33年)に再建された舞台造の本堂は、急崖...

藤ノ木古墳の写真

藤ノ木古墳 ( 奈良県 斑鳩町 )

JR関西本線(大和路線)法隆寺駅から北西へ約1.8km、法隆寺の西350mの住宅地にある直径約50m、高さ約9mの大型円墳*1。1985(昭和60)年の発掘調査で、豪華な馬具が出土して注目された。横穴式石室*2で、玄室の奥に未盗堀の朱塗りの刳抜式家形石棺があり、1988(昭和63)年に開棺調査された結果、2体の人骨と、歩揺*3をつけた筒形金銅製品、...

法隆寺の写真

法隆寺 ( 奈良県 斑鳩町 )

JR法隆寺駅から法隆寺南大門まで北へ約1.5km。聖徳太子ゆかりの斑鳩の里にあり、斑鳩寺*1とも呼ばれた。矢田丘陵南端の山裾を背に立ち並ぶ金堂・五重塔などの伽藍は、現存世界最古の木造建築といわれる。  法隆寺の歴史は金堂の薬師如来光背銘*2によると、607(推古天皇15)年に聖徳太子と推古天皇が創建したとされる。ただ、日本書紀には6...

法起寺の写真

写真提供:パーソナル企画

法起寺 ( 奈良県 斑鳩町 )

JR関西本線(大和路線)法隆寺駅から北東へ約2.5km、法隆寺から北東へ約2kmのところにあり、もとは岡本寺(おかもとでら)・池後尼寺(いけじりにじ)とも称した。706(慶雲3)年完成とされる三重塔*1にあった露盤銘*2によると、聖徳太子の岡本宮を山背大兄王が寺に改め、638(舒明天皇10)年に金堂が建立、685(天武天皇10)年に三重塔の建...

中宮寺の写真

中宮寺 ( 奈良県 斑鳩町 )

JR関西本線(大和路線)法隆寺駅から北へ約1.5km、法隆寺東院(夢殿)の北東に接しているが、室町時代(16世紀前半まで)は東方約500m*1にあり、斑鳩尼寺(いかるがにじ)とも呼ばれた。創建年代については諸説*2があるが、聖徳太子の母穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后の御所を寺としたと伝え、法隆寺若草伽藍とほぼ同時期に建立された...

柿の葉寿司の写真

写真提供:パーソナル企画

柿の葉寿司 ( 奈良県 五條市 / 奈良県 吉野郡 )

吉野地方に伝わる郷土料理で、一口大ほどの酢飯に塩サバなどをのせて柿の葉で包み、押しをかけた寿司。今では一年中食べられるが、本来は夏祭りのごちそうだった。  起源は不詳だが、江戸時代中期には柿の産地だった五條や吉野川流域ですでに作られていたといわれている。海から離れた奈良盆地や紀伊山地の山里では、海産物は極めて貴重な...

奈良のシカの写真

写真提供:パーソナル企画

奈良のシカ ( 奈良県 奈良市 )

奈良のシカは春日大社の神の使い*1とされ古く*2から大切にされてきた。現在は奈良公園に1,300頭(2024年7月現在)ほどが生息、国の天然記念物として保護されている。春日大社の参道脇に鹿苑があり、シカの保護育成にあたっている。公園内の売店で販売している「鹿せんべい」*3は観光客がシカに与えることができるが、それ以外は一切与えられ...

春日山原始林の写真

写真提供:パーソナル企画

春日山原始林 ( 奈良県 奈良市 )

奈良市の中心部から東に位置し、稜線を形作っているのが春日山で、奈良の市街から手前に見えるのが、春日大社の神山である御蓋山*1(標高297m)、その奥に標高498mの花山があるが、この両方、または一方を「春日山」と呼ぶ。この春日山を中心として北側に若草山(標高342m)、南側に高円山(432m)を見る面積298万m2の森が春日...

平城宮跡の写真

写真提供:平城宮跡管理センター

平城宮跡 ( 奈良県 奈良市 )

平城宮跡は、近鉄奈良線大和西大寺駅と同新大宮駅の間、佐紀路*1の南側に広々とした平地に遺された平城京*2の中心地であった史跡。現在は広大な遺跡公園となっている。平城京は710(和銅元)年に元明天皇により藤原京から遷都*3され、784(延暦3)年に桓武天皇により長岡京に遷されるまでの8代74年間の都であったが、延暦の遷都後は荒墟*4と...

東大寺の写真

写真提供:パーソナル企画

東大寺 ( 奈良県 奈良市 )

近鉄奈良線奈良駅から東大寺南大門まで東へ約1.2km、若草山の麓に広大な寺域を占める巨刹。仏教文化が最高潮に達した8世紀半ばに、国力を傾けて造営された。寺号は平城京の東方にある大寺ということに由来する。正式には金光明四天王護国之寺*1とも称し、南都七大寺*2の一つであった。天災や兵火でたびたび伽藍を失いながらも、本尊の「奈良の...

春日大社の写真

写真提供:パーソナル企画

春日大社 ( 奈良県 奈良市 )

御蓋山(みかさやま)*1の麓、春日山原始林から続く深い杜の中に鎮座する古社。近鉄奈良線奈良駅から800mほどの興福寺境内のすぐ東に立つ一之鳥居*2から本社までさらに1300mほど続く表参道は、浅茅(あさじ)ヶ原、飛火野を通って行く。参道に燈籠が徐々に増え、二之鳥居を過ぎれば、両側に石燈籠が林立して、本社の南門*3へと導かれる。本殿...

興福寺の写真

写真提供:パーソナル企画

興福寺 ( 奈良県 奈良市 )

境内の南側から入るのならば、近鉄奈良線奈良駅からアーケードの東向商店街を南下し、三条通りを西へ。駅から約500mで五重塔のたもとに着く。北側からならば、近鉄奈良駅から大宮通り(登大路)を東へ300mのところが北参道の入口になる。  約2万5,000坪(約8万2,500m2)に及ぶ境内には、仕切りの塀もない松林の中に、中金堂*1・...

薬師寺の写真

写真提供:薬師寺

薬師寺 ( 奈良県 奈良市 )

近鉄橿原線西ノ京駅のすぐ南東にあり、境内に立つ三重塔は西ノ京のシンボルになっている。西ノ京駅から道を左にとれば、與楽門からすぐ境内に入れるが、正面は南側の南門となる。伽藍配置は、南門*1、中門、本尊の薬師三尊像(国宝)を祀る金堂*2、教学の中心となる大講堂*3、僧侶が食事をする食堂*4が南北に一直線に並び、金堂の左右(東西...

唐招提寺の写真

写真提供:パーソナル企画

唐招提寺 ( 奈良県 奈良市 )

近鉄橿原線西ノ京駅から北へ約600m、閑静な五条町の集落の一角に、木立の深い境内が広がっている。南大門*1をくぐると、正面に「天平の甍」の金堂*2が建ち、その背後に平城宮から移された講堂*3が構えている。奈良に遺る古代寺院のほとんどが兵火にかかっているなかで、創建時からの姿を維持しつつ、奈良時代から近世までの各時代の伽藍*4をよ...

元興寺の写真

元興寺 ( 奈良県 奈良市 )

近鉄奈良線奈良駅から南へ約1km、「ならまち」の古い街並みのなかに元興寺は建つ。この寺は、蘇我馬子が飛鳥に建立した日本初の本格的寺院、法興寺(飛鳥寺*1)を前身とする。平城遷都によって現在地に移転し、新しい伽藍*2を建立、大いに栄えた。しかし、都が京都へ遷り、平安時代も後期になると寺勢は衰退、東大寺や興福寺の傘下に組み込ま...

新薬師寺の写真

写真提供:新薬師寺

新薬師寺 ( 奈良県 奈良市 )

近鉄奈良駅から東南へ約2.3km、天平建築の本堂*1と本尊の薬師如来坐像*2、天平期の塑造彩色像の十二神将立像*3で知られている。草創については、聖武(しょうむ)天皇の病気平癒を祈って、747(天平19)年に光明(こうみょう)皇后が建立し、7躯の薬師如来像を安置したという。当時、天皇の発願による東大寺の大仏が造立されていたが、そのさ...

秋篠寺の写真

秋篠寺 ( 奈良県 奈良市 )

近鉄奈良線大和西大寺駅から北西に約1.2km、秋篠の里にあり、境内に入ると苔むした前庭が広がる。創建については諸説ある。当地の豪族・秋篠氏の氏寺だったともいわれるが、寺伝では780(宝亀11)年頃*1、光仁天皇の勅願により法相宗の六祖*2のひとり善珠が開いたとされる。奈良時代最後の官寺であり、造営は次の桓武天皇の代まで続いたと伝...

圓成寺の写真

写真提供:パーソナル企画

圓成寺 ( 奈良県 奈良市 )

近鉄奈良線奈良駅から東へ約12km、忍辱山(にんにくせん)*1の山号をもつ柳生街道沿いの第一の古刹。赤松や杉が茂り、苑池の広がる浄土式庭園*2と一段高く立つ瀟洒な楼門*3、さらに奥の本堂*4や本堂左手にある丹塗(にぬり)の白山堂・春日堂と宇賀神本殿*5が背後の森に包まれる幽邃境となっている。同寺の縁起*6では、756(天平勝宝8)年に...

般若寺の写真

写真提供:パーソナル企画

般若寺 ( 奈良県 奈良市 )

近鉄奈良線奈良駅から北東へ約2.2km、京都に向かう奈良街道の奈良坂に面し、軒の低い二階屋の民家が並ぶなかに楼門が立つ。舒明天皇(593~641)のころ、高句麗の僧慧灌*1がここに一宇を建て、654(白雉5)年、孝徳天皇の病気全快を祈って蘇我日向臣(そがのひむかのおみ)が伽藍を創建したと伝えられる。さらに735(天平7)年、聖武天皇が平...

不退寺の写真

写真提供:パーソナル企画

不退寺 ( 奈良県 奈良市 )

近鉄奈良線新大宮駅から北へ約1km、木立に囲まれた参道の先にある。正式な山号寺号は金龍山不退転法輪寺である。「大和国金龍山不退寺縁起」によると、平城天皇は809(大同4)年譲位後に、この地に茅葺(かやぶき)の仮殿(宮)を営み*1、第1皇子阿保(あぼ)親王、その子在原業平*2も引きつづいてここに住んだと伝えている。この地での寺院...

法華寺の写真

写真提供:法華寺

法華寺 ( 奈良県 奈良市 )

近鉄奈良線新大宮駅から北西へ約1.3km、東大寺転害門から西へたどる佐保路(平城京の一条南大路)の突き当たりにある尼寺。天平時代に光明皇后*1が藤原不比等*2の邸宅を喜捨して寺を建て、総国分尼寺となり、法華滅罪之寺*3と称した。七堂伽藍を備えた大寺であったと推定されるが、平安遷都後は衰え、鎌倉時代に西大寺の僧叡尊が再興したが、...

正暦寺の写真

正暦寺 ( 奈良県 奈良市 )

近鉄奈良線奈良駅から南東へ約9km、JR桜井線(万葉まほろば線)帯解駅から東へ5km。高円山の南、菩提仙川を遡った沢沿いに堂宇が建つ。一条天皇の発願によって992(正暦3)年、藤原兼家の子・兼俊僧正が創建し、当初は堂塔伽藍86宇を数える大寺であったといい、北大和五山*1に数えられていた。1180(治承4)年、平重衡の南都焼き討ちの際に全...

帯解寺の写真

写真提供:帯解寺

帯解寺 ( 奈良県 奈良市 )

JR桜井線(万葉まほろば線)帯解駅から北200mほどのところにある。寺伝では勤操を開基とする巖渕千坊*1の一院で霊松庵であったとされ、文徳天皇の皇后藤原明子が子がなく悩んでいた折、同庵の地蔵菩薩に祈願をしたところ、見事懐妊し、無事にのちの清和天皇を安産したことから、858(天安2)年に伽藍を建立し、寺号を「無事安産し、腹帯が安...

大安寺の写真

大安寺 ( 奈良県 奈良市 )

JR関西本線(大和路線)奈良駅から南へ約2km、JR桜井線(万葉まほろば線)京終駅から西へ約1.7km、奈良市街南西部のはずれに見える小さな森が現在の大安寺境内である。もともとは、聖徳太子が平群郡に建立したという熊凝精舎(くまごりしょうじゃ)が草創*1と伝えられ、その後、舒明天皇の発願により寺地を遷し、十市郡(百済)で百済大寺と...

白毫寺の写真

白毫寺 ( 奈良県 奈良市 )

JR桜井線(万葉まほろば線)京終駅から高円山に向って約2.2km、高円山の西麓、奈良盆地の眺望が開ける高台にある。境内は広くはないが、本堂と宝蔵などが建ち、本堂右手の池の奥には多宝塔跡や石仏を巡る「石仏の道」がある。創建は、諸説*1あり不詳だが、一説には天智天皇の本願により勤操*2が開基したともいわれ、高円山にあったとされる勤...

西大寺の写真

西大寺 ( 奈良県 奈良市 )

近鉄大和西大寺駅の南出口から徒歩3分。765(天平神護元)年、称徳天皇の勅願*1によって東の大寺(東大寺)に対する西の大寺として創建され、官大寺の一つとして大伽藍を誇った。平安遷都、そして数度の火災によって衰えたが、鎌倉時代に叡尊*2が出て復興に努め、真言律宗の道場として再興した。現在は、江戸時代に再建された本堂*3・愛染堂*...

東大寺二月堂修二会(お水取り)の写真

東大寺二月堂修二会(お水取り) ( 奈良県 奈良市 )

二月堂の本尊の前で罪障を懴悔し、国家の安泰と万民の快楽(けらく)などを祈る十一面悔過(けか)*1の法要。3月1日から14日まで行われる。752(天平勝宝4)年、実忠*2が笠置山の竜穴で菩薩たちの行法を見て創始*3したと伝えられ、もとは旧暦2月に行われたので修二会*4と呼ぶ。  現在の日程は次のとおりである。まず、前年の12月16日に翌年...

春日若宮おん祭の写真

写真提供:春日大社

春日若宮おん祭 ( 奈良県 奈良市 )

春日大社の摂社で、本社の南東に鎮座する若宮の例祭。若宮は春日大社の本殿の祭神、天児屋根命*1と比売神*2の御子神である天押雲根命(あめのおしくもねのみこと)を祭神とする。祭神は1003(長保5)年に出現したといわれ、水徳の神と仰がれた。長承年間(1132~1135年)の大雨洪水などによる飢饉・疫病蔓延に対し、関白藤原忠通*3が終息を祈...

若草山焼き行事の写真

写真提供:一般財団法人奈良県ビジターズビューロー

若草山焼き行事 ( 奈良県 奈良市 )

東大寺の東、春日大社の北東にある標高342mの若草山*1で毎年1月第4土曜日に行われる。若草山の麓までは近鉄奈良線奈良駅から東へ約1.8km。18時15分に花火が打ち上げられ、18時半頃から山麓中央の大かがり火から松明に火を移し、法螺貝、ラッパの合図により若草山各所で一斉に山焼きの点火が行われる。山焼きの面積は約33万m2で30...

奈良国立博物館の写真

写真提供:パーソナル企画

奈良国立博物館 ( 奈良県 奈良市 )

近鉄奈良線奈良駅から東へ800mほどのところにある。日本で2番目にできた国立博物館で、仏教美術に関する文化財を中心に収蔵しており、展示も仏教美術の鑑賞と研究に役立つように考えられている。ギャラリーは「なら仏像館」*1・「青銅器館」*2・「東新館」*3・「西新館」*4の4つ。また、仏教美術関連の調査研究資料の作成・収集などを行い、...

大和文華館の写真

大和文華館 ( 奈良県 奈良市 )

1960(昭和35)年、近畿日本鉄道の創立50周年記念事業の一つとして開館された。蛙股池*1畔の松林に囲まれた小高い所にあり、美術館の建物は日本建築の特色に近代美を生かしている。日本と中国、朝鮮を中心とする東洋古美術をテーマとする展示のほか、講演会などの行われる講堂がある。絵画・書跡・陶磁・彫刻・工芸・染織品など、収蔵の美術...

奈良女子大学の写真

写真提供:奈良女子大学

奈良女子大学 ( 奈良県 奈良市 )

近鉄奈良線奈良駅から北へ約500m、佐保川の南岸にある国立の女子大学。1908(明治41)年に奈良女子高等師範学校として創立され、1949(昭和24)年に新制大学となった。現在は、奈良国立大学機構(2022年4月から)傘下の大学として文学部、理学部、生活環境学部、工学部の4学部が設置されている。明治期から近代女子教育の中心的な学校であっ...

霊山寺の写真

写真提供:霊山寺

霊山寺 ( 奈良県 奈良市 )

近鉄奈良線富雄駅から南へ約2.6km、富雄川に臨んで朱塗の大鳥居*1が立ち、境内は矢田丘陵を背後に控えて木立が多い。創建については諸説*2あり、不分明だが、寺伝の略縁起では、聖武天皇の勅願によって、天平時代に行基が開基となったという伝承が記されている。本尊の薬師如来像*3の胎内からは「治暦二年」(1066年)の紀年銘が記された紙片...

月ヶ瀬梅林の写真

写真提供:一般財団法人奈良県ビジターズビューロー

月ヶ瀬梅林 ( 奈良県 奈良市 )

JR関西本線月ヶ瀬口駅から南へ約8km、奈良市街からは柳生経由で約30km、木津川の支流五月(名張)川の渓谷とダム湖の月ヶ瀬湖に沿い、両岸の岸辺から山腹へ約4kmにわたって梅林がつづく。その数1万本ともいわれ、両側から山が迫り、V字型をした渓谷は、2月下旬になると白い花に埋まり、芳香に包まれる。  梅林の起源*1は明らかではないが、...

「ならまち」の街並みの写真

「ならまち」の街並み ( 奈良県 奈良市 )

「ならまち」は、奈良市の旧市街地の一部であり、近鉄奈良駅の南、元興寺*1の旧境内やその周辺一帯をいう。古い街並みが残り、町家を改装したおしゃれな飲食店やショップが多く、人気の観光エリアとなっている。  この「ならまち」を含む奈良の旧市街は、平城京の「外京」とよばれる東の張り出し部に形成されたのが始まり。784(延暦3)年...

三枝祭の写真

写真提供:大神神社

三枝祭 ( 奈良県 奈良市 )

「ゆりまつり」とも呼ばれる。近鉄奈良線奈良駅から南へ約400m、大神神社の境外摂社、率川(いさがわ)神社*1で例年6月16~18日に行われる。17日には、三枝(さいくさ)の花(三輪山に自生するササユリ)を酒樽に飾って神前に捧げ、4人の巫女がユリをかざして舞を奉納、神話時代を再現する。また、午後からは七媛女(ななおとめ)・ゆり姫・...

奈良ホテルの写真

奈良ホテル ( 奈良県 奈良市 )

近鉄奈良線奈良駅から南東へ約1.2km、JR関西本線(大和路線)奈良駅から東へ約2km。興福寺の南にあたり、旧大乗院庭園を南側に、東側は荒池に臨む奈良公園の高台に建つ。奈良ホテルは、日露戦争後、訪日外国人の増加に伴い、奈良にも洋式のホテル建設の気運が高まるなかで、鉄道会社やホテル事業者が中心になり、1909(明治42)年に開業した...

JR奈良駅旧駅舎(奈良市総合観光案内所)の写真

JR奈良駅旧駅舎(奈良市総合観光案内所) ( 奈良県 奈良市 )

JR関西本線(大和路線)奈良駅東口の北側、駅前広場に面して建つ。現在は奈良市総合観光案内所として利用されている。奈良駅は1890(明治23)年、大阪鉄道王寺駅~奈良駅間の開通とともに木造駅舎で開業。1907(明治40)に国有化され国有鉄道の駅となった。さらに1934(昭和9)年に2代目の駅舎が竣工、第二次世界大戦後増築も行われた。2004...

入江泰吉記念奈良市写真美術館の写真

入江泰吉記念奈良市写真美術館 ( 奈良県 奈良市 )

近鉄奈良線奈良駅から南東へ約2.2km、新薬師寺に隣接する。奈良大和路の風物を生涯、撮り続けた写真家・入江泰吉*1の作品を中心に、写真芸術を鑑賞できる写真専門美術館。入江泰吉の全作品(約80,000点)を所蔵するほか、近代美術写真の先駆者・工藤利三郎*2のガラス原板1,025点や奈良出身の風景写真家などの作品も所蔵している。  展示室で...

海龍王寺の写真

写真提供:海龍王寺

海龍王寺 ( 奈良県 奈良市 )

近鉄奈良線新大宮駅から北西へ1.3km、平城宮跡の北東近くにある。710(和銅3)年、平城遷都の際、藤原不比等がこの地を土師氏から譲り受け邸宅を構え、北東隅にあった堂宇を引き継いだのが前身といわれる。731(天平3)年に藤原不比等の娘である光明皇后がこの地を皇后宮とし、伽藍を整備した上で、唐から帰朝した玄昉*1を住持に任じ開基とし...

依水園・寧楽美術館の写真

依水園・寧楽美術館 ( 奈良県 奈良市 )

近鉄奈良線奈良駅から東へ約1km、東大寺南大門の西にある。依水園は1万3,481m2の敷地にかつては吉城川をひき入れ、若草山・春日山を借景とした庭園。前園と後園に分かれている。前園は、奈良晒*1を業とする清須美道清*2が延宝年間(1673~~1681年)に造園したもので、池泉回遊式の庭園内に三秀亭・挺秀軒・清秀庵などがある。東側...

石上神宮の写真

石上神宮 ( 奈良県 天理市 )

JR桜井線(万葉まほろば線)・近鉄天理線天理駅から東へ約2km、布留山(ふるやま・標高266m)の北西麓の高台にある。境内は、深い社叢に包まれ、山の辺の道の散策の北の起点にもなっている。「古事記」*1によると、神武天皇は東征の折、熊野で危機に陥ったが、高倉下(たかくらじ。人の名)が建御雷神(武甕雷神。たけみかづちのかみ)に下...

長岳寺の写真

写真提供:長岳寺

長岳寺 ( 奈良県 天理市 )

JR桜井線(万葉まほろば線)柳本駅から東へ約1.5km。山の辺の道の途中、龍王山(標高585m)の山裾にあり、古い大きな山門を入ると参道がつづく。824(天長元)年、空海の開基と伝えられ、大和神社の神宮寺であったともいわれる。寺が盛んだったころは、愛染堂、御影堂などの堂宇のほか、僧坊が42を数えるほどの大寺であったが、たびたびの兵...

天理の街並みの写真

天理の街並み ( 奈良県 天理市 )

奈良盆地の東部にあり、1954(昭和29)年に丹波市町を中心に6カ町村が合併し、全国最初の宗教名を市名にした宗教都市である。市の中心をなす旧丹波市町は、京都・奈良から初瀬・伊賀・伊勢に至る街道沿いにあたり、かつては伊勢神宮参拝途中の旅篭町として栄えた。明治以降は天理教*1の本拠として知られ、現在、街には天理教教会本部神殿・教...

山の辺の道の写真

写真提供:パーソナル企画

山の辺の道 ( 奈良県 奈良市 / 奈良県 桜井市 / 奈良県 天理市 )

現在の桜井市金屋の海柘榴市*1に始まり、大神神社(三輪明神)、景行、崇神陵を経て、石上神宮から奈良の旧市街へ北上する、奈良時代以前からあったとされる古道。大和の「青垣」*2と称されてきた三輪山、龍王山、高円山、春日山など奈良盆地の東縁部をなす山並みの山麓を縫う約26km余りの道で、「古事記」*3や「日本書紀」*4にも記述がみら...

大峰山の写真

大峰山 ( 奈良県 天川村 )

紀伊半島の中央部、南北50kmにわたって標高1,000~1,900m級の峰が連なっているのが、大峰山脈である。大峰山は狭義では、大峰山脈北部の主峰である山上ヶ岳(標高1,719m)を指し、広義では稲村ヶ岳(同1,726m)・弥山(同1,895m)・八経ヶ岳(同1,915m)などが連なる大峰山脈全体をいう。山脈の北部は古生層、南部は中生層を基盤とした曲隆...

洞川温泉の街並みの写真

洞川温泉の街並み ( 奈良県 天川村 )

天川村は、蔵王権現を祀る大峯山寺がある大峰山(山上ヶ岳。標高1,719m)の麓にある。村の東北部、標高約820mにある洞川温泉は、大峰山から発し熊野川の源流ともなっている山上川のほとりに湧く。古来、大峰山は山岳信仰に神道や仏教などが習合した修験道の根本道場で、洞川はその登山基地として開けた。温泉を掘削したのは昭和に入ってから...

天河大辨財天社の写真

天河大辨財天社 ( 奈良県 天川村 )

近鉄吉野線下市口駅から南へ約26km、天(てん)ノ川の流れに近く、山を背に社殿がある。創建については確かなことは不詳だが、同社の縁起によれば、7世紀後半に現れた修験道の祖、役行者*1が感得した辨財天を弥山*2(標高1,895m 大峰山の峰のひとつ)に祀ったのが始まりだという。現在も弥山山頂には奥宮が祀られている。また、弘仁年間(81...

慈光院の写真

慈光院 ( 奈良県 大和郡山市 )

JR関西本線(大和路線)大和小泉駅から北へ約1.5km、南流する富雄川(とみおがわ)の西の小丘にある。1663(寛文3)年に、石州流茶道の祖である小泉藩主片桐貞昌*1が父の菩提を弔うため建立*2した。あられ石の参道を通り、楼門を越えると、茅葺農家風の書院が現われる。簡素な書院*3は1664(寛文4)年に建てられたもので、12畳の主室ほか数室...

金剛山寺(矢田寺)の写真

写真提供:パーソナル企画

金剛山寺(矢田寺) ( 奈良県 大和郡山市 )

近鉄橿原線郡山駅から西へ約4km、矢田丘陵の中腹にあり、矢田寺の名で知られる。「矢田地蔵縁起」*1の詞書では673(天武天皇2)年、入唐して玄奘から「唯識」(法相宗の仏教思想)を学んだと言われる智通が勅願により開基したと伝え、十一面観音を本尊とした。平安期に入り、中興の祖・満米(まんまい)上人によって地蔵菩薩を本尊とし、「矢...

郡山城の写真

郡山城 ( 奈良県 大和郡山市 )

近鉄郡山駅の北にあり、犬伏(いぬぶせ)城とも呼ばれる。1580(天正8)年には筒井順慶*1が織田信長からこの地一円を安堵されたが、郡山城以外の城の破却を命じ「大和一国破城令」により筒井城から居城を郡山城に移し、城下を含め整備を図ることとなった。1585(天正13)年豊臣秀長*2が100万石をもって入封、社寺の礎石や石仏をも使い、大規...

長弓寺の写真

長弓寺 ( 奈良県 生駒市 )

近鉄けいはんな線学研北生駒駅から南へ約1.4km、近鉄奈良線富雄駅から北へ約3.4kmのところにある。富雄川沿いの高山街道を北上した静かな山懐にある。創建には諸説*1あるが、寺伝によると、鳥見(とみ)郷の名族小野真弓長弓(おののまゆみたけゆみ)が聖武天皇に供して狩りをした際、世嗣長麻呂の流れ矢にあたって死去したため、その死を哀...

寳山寺の写真

写真提供:パーソナル企画

寳山寺 ( 奈良県 生駒市 )

近鉄奈良線・けいはんな線生駒駅の駅前にある生駒ケーブル線鳥居前駅から5分、宝山寺駅下車。生駒山の東側中腹にあり、「生駒の聖天(しょうてん)さん」の名で親しまれている。役行者(えんのぎょうじゃ)および空海の修行場*1と伝えられ、古来から弥勒菩薩の浄土とも考えられていたこの地に1678(延宝6)年、宝山湛海*2が歓喜天*3を祀り、当...

大台ヶ原の写真

大台ヶ原 ( 奈良県 上北山村 / 三重県 大台町 )

大峰山脈の東、奈良・三重を分ける台高(だいこう)山脈の主峰部を指し、大台ヶ原山とも呼ばれる日出ヶ岳(標高1,695m)、三津河落山(さんづこうちやま・標高1,654m)などに囲まれた山頂部は、古生層および中生層からなる隆起準平原*1の名残とされる広い台地状を呈し、周囲は急峻な懸崖となっている。とくに南西部は大蛇嵓(だいじゃぐら)...

谷瀬の吊り橋の写真

谷瀬の吊り橋 ( 奈良県 十津川村 )

JR和歌山線五条駅から約42km。まず、丹生川沿いに遡り分水嶺を越え、天の川、さらに下流の十津川沿いに谷あいを進んだところにある上野地集落の北端から対岸の谷瀬集落に向け架かっている。両岸を結ぶ鉄線橋*1で、長さ297m、川面からの高さは54mもある。同時に渡れるのは約20人までとなっている。十津川村は吊り橋が多いことで知られ、40本以...

山田寺跡の写真

山田寺跡 ( 奈良県 桜井市 )

JR桜井線(万葉まほろば線)・近鉄大阪線桜井駅から南へ約4.5km。641(舒明天皇13)年に蘇我倉山田石川麻呂*1が氏寺として造営をはじめた寺で、643(皇極天皇2)年には金堂が建立された。しかし、649(大化5)年に石川麻呂は反乱の疑いをかけられ自害したため、造営は中断した。その後疑いが晴れ、663(天智天皇2)年には堂塔の建立が再開さ...

長谷寺の写真

写真提供:長谷寺

長谷寺 ( 奈良県 桜井市 )

近鉄大阪線長谷寺駅から長谷寺の門前まで北東へ約1.2km。初瀬山*1の山麓から中腹に大伽藍を構えている。真言宗豊山派の総本山で、西国三十三所観音霊場の第8番札所。ボタンや紅葉*2などの名所としても知られ「花の御寺」の異名をもつ。  境内には本堂*3を中心に五重塔、大講堂*4などの堂塔が建つ。初瀬山の中腹に位置する本堂へは、山麓の...

大神神社の写真

写真提供:大神神社

大神神社 ( 奈良県 桜井市 )

JR桜井線(万葉まほろば線)三輪駅のすぐ北側に参道があり、東へ約300mほどで二の鳥居*1がある。大神神社は祭神の大物主大神*2(おおものぬしのおおかみ)が三輪山*3(標高467m)に鎮まるために、古来、本殿を設けずに直接、山に祈りを捧げるという原初的な信仰形態を遺している神社で、延喜式内の大社のなかでもっとも古い神社の一つとされ...

談山神社の写真

写真提供:パーソナル企画

談山神社 ( 奈良県 桜井市 )

JR桜井線(万葉まほろば線)・近鉄大阪線桜井駅から南へ約8km。桜井市の南、峰々を重ねた多武峰*1の山中に十三重塔*2を中心に本殿*3や拝殿、権殿*4、総社本殿など大小さまざまの社殿が配置されている。一ノ鳥居から社殿下の摩尼輪塔*5まで1丁ごとに丁石が立ち、建物の多くが桧皮葺の屋根、朱に彩られ、春は約500本のサクラ、秋は約3,000本も...

聖林寺の写真

写真提供:聖林寺(写真:松村芳治)

聖林寺 ( 奈良県 桜井市 )

JR桜井線(万葉まほろば線)・近鉄大阪線桜井駅から南へ約2.5kmの多武峰を背にした高台にある。創建は定かではないが、寺伝では、藤原鎌足の長子定慧*1が開山したといわれる多武峯妙楽寺*2の別院として和銅年間(708~715年)に開創されたと伝えられている。もとは「遍照院」と称したが、享保年間(1716~1736年)に妙楽寺の僧子暁によって「...

安倍文殊院の写真

写真提供:安倍文殊院

安倍文殊院 ( 奈良県 桜井市 )

JR桜井線(万葉まほろば線)・近鉄大阪線桜井駅から南へ約1.5kmのところにある。大化の改新に際し、中大兄皇子(天智天皇)を支え、その後も右大臣蘇我倉山田石川麻呂とともに左大臣として朝廷の中枢にいた阿倍倉梯麻呂*1が崇敬寺(そうきょうじ)と称し創建されたと伝えられる。創建時は、現在地より南西にあったとされ、現在はその地は安倍...

三輪そうめんの写真

写真提供:パーソナル企画

三輪そうめん ( 奈良県 桜井市 )

奈良盆地の南東部、桜井市三輪地区を中心に製造されている手延べそうめんである「三輪そうめん」は、喉越しなめらかで舌ざわりがよく、コシがしっかりしており煮くずれしにくいのが特徴だとして、全国に知られている。  「三輪そうめん」は、三輪山(大神)信仰に結び付けられ、宝亀年間に神主狭井久佐の次男、穀主(たねぬし)が、この地...

南法華寺(壷阪寺)の写真

南法華寺(壷阪寺) ( 奈良県 高取町 )

近鉄吉野線壺阪山駅から南東へ約4km、高取山(標高584m、高取城跡*1)の中腹にある。正しくは南法華寺だが、壷阪寺の名で知られる。西国三十三所第6番札所として眼病に霊験があるという十一面観音像を祀る。開創*2は不明な点が多いが、寺伝の「南法花寺古老伝」では、703(大宝3)年に元興寺の僧弁基によるものとされている。847(承知14)年...

馬見丘陵公園(馬見古墳群)の写真

馬見丘陵公園(馬見古墳群) ( 奈良県 広陵町 / 奈良県 河合町 / 奈良県 大和高田市 )

奈良盆地の西部、馬見丘陵*1とその周辺地に馬見古墳群がある。奈良県内では佐紀盾列(さきたたなみ)古墳群*2、大和・柳本古墳群*3と並ぶ大型古墳群で、4~5世紀に築造された古墳が多く、総数は250基を超える。古墳群は大和高田市の築山古墳を中心とする南群*4、広陵町の巣山古墳を中心とする中央群*5、河合町の大塚山古墳を中心とする北群*6...

賀名生梅林の写真

写真提供:一般財団法人奈良県ビジターズビューロー

賀名生梅林 ( 奈良県 五條市 )

JR和歌山線五条駅から南へ丹生川に沿って山間地を入って約9km、賀名生皇居跡*1の向かい側の山の麓から中腹まで広がる約2万本が植栽されたウメ林。西ノ千本・奥ノ千本など吉野山のサクラになぞらえて名を付けた場所もある。この地はカキの生産地としても知られており、カキ畑も随所にみられ、急斜地ではあるが数多くの農家も散在している。ウ...

榮山寺の写真

写真提供:榮山寺

榮山寺 ( 奈良県 五條市 )

JR和歌山線五条駅から東へ約2km、西流する吉野川のほとりの緑のなかにあり、境内には山門、室町時代に再建され重要文化財の薬師如来坐像*1が祀られている本堂(薬師堂)、その右手奥には国宝の八角円堂が建ち、コンクリート製の鐘楼には平安初期に造られた国宝の梵鐘*2が吊るされている。同寺の創建*3は719(養老3)年、藤原武智麻呂*4による...

五條市五條新町の町並みの写真

五條市五條新町の町並み ( 奈良県 五條市 )

五條地方は、吉野川の右岸にある河岸段丘の上にあり、須恵、五條などの集落では古くから大和・紀伊・伊勢を結ぶ街道の要(かなめ)として物産の集積地として市などが開かれていた。江戸時代に入り、1608(慶長13)年に吉野川河畔寄りに五條二見藩が置かれて城下に二見の町場が生まれた。さらに須恵や五條と、二見とをつなぐ形で新町の町場が...

吉野山のサクラの写真

写真提供:吉野山観光協会

吉野山のサクラ ( 奈良県 吉野町 )

奈良県南部に位置する吉野山は、ひとつの峰を指すものではなく、大峰山脈北端から吉野川南岸まで南北約8kmにわたって続く尾根をいう。一帯には金峯山寺をはじめ修験道に由来する社寺が集まっており、古くからサクラの名所としても知られる。現在は、山内の約50万m2に3万本以上ともいわれるサクラが植えられており、尾根から谷へと...

吉野山寺社群の写真

写真提供:パーソナル企画

吉野山寺社群 ( 奈良県 吉野町 )

奈良県南部、大峰山脈の北端、南北に約8km続く尾根が吉野山である。一帯には、修験道の根本道場である金峯山寺を中心に多くの社寺がある。  吉野山から山上ヶ岳(大峰山)までの大峰山脈北部の山々は、古くから金峯山(きんぷせん)と呼ばれ、神聖視されていた。伝承によれば、7世紀後半、役行者*1が金峯山で修行中に金剛蔵王権現を感得、...

吉野葛の写真

写真提供:パーソナル企画

吉野葛 ( 奈良県 宇陀市 / 奈良県 吉野町 / 奈良県 御所市 )

多年草マメ科のクズは秋の七草のひとつで、花は可憐優雅なお茶花として親しまれ、また煎じたものは薬草として利用され、茎は強い繊維質であることから葛布が作られていた。葛の根*1はデンプン質が豊富で、このデンプンを精製したものが葛粉であり、料理や菓子の材料に使われる。吉野地方では極寒期に地下水のみで繰り返し精製する「吉野晒(...

當麻寺の写真

當麻寺 ( 奈良県 葛城市 )

近鉄南大阪線当麻寺駅から西へ約1km、雄岳(標高517m)と雌岳(標高474m)からなる二上山*1やその東南麓の丸子山*2(標高212m)を背に、堂塔が建ち並ぶ。仁王門(東大門)から入ると、樹間越しに、左手前から奈良時代に造営された東塔、西塔の2基の三重塔*3が垣間見え、正面には国宝の梵鐘*4が吊るされている鐘楼がある。続いて中之坊*5をは...

藤原宮跡の写真

写真提供:PIXTA

藤原宮跡 ( 奈良県 橿原市 )

近鉄大阪線大和八木駅から東南へ約2.4km、JR桜井線(万葉まほろば線)畝傍駅から東南へ約1.8kmのところに藤原京の中心であった藤原宮跡がある。大和三山に囲まれた地域に694(持統天皇8)年から710(和銅3)年に平城京へ遷都されるまでの16年間、持統・文武・元明*1の3代の天皇が営んだ宮跡。藤原宮は藤原京のほぼ中心に位置し、その規模は、...

橿原神宮の写真

写真提供:橿原神宮

橿原神宮 ( 奈良県 橿原市 )

近鉄橿原神宮前駅中央口から北西に拝殿まで約1km。畝傍山(うねびやま)の東南麓に約53万m2の広大な神域を有する。本殿・内拝殿・外拝殿など、のびやかで豪壮な社殿が深閑とした森に包まれて建つ。第一代天皇である神武天皇はこの地に橿原宮*1を造営し、辛酉年正月に即位したと「日本書紀」に記されている。その即位の地に、1890...

久米寺の写真

久米寺 ( 奈良県 橿原市 )

近鉄南大阪線橿原神宮前駅の北西約300mにあり、久米仙人(くめのせんにん)*1ゆかりの寺として知られる。現在、境内には本堂、多宝塔*2、観音堂、御影堂などの堂宇が並ぶ。寺伝では聖徳太子の弟、来目(くめ)皇子の開基とし、久米仙人の創建とも伝えるが、創立の経緯*3は明らかでない。しかし、多宝塔の南に残る奈良時代の塔の礎石群や出土...

今井町の街並みの写真

写真提供:パーソナル企画

今井町の街並み ( 奈良県 橿原市 )

近鉄橿原線八木西口駅から南西へ200~1,000mほどのところに広がる古い街並み。東西約600m、南北約310m、面積にして約17.4万m2が国の重要伝統的建造物群保存地区に選ばれている。地区内には約500件の伝統的建造物があり、9件*1は国の重要文化財に指定されている。  今井町は、古くは興福寺一乗院の荘園であったが、15世紀後半に...

大和三山の写真

写真提供:パーソナル企画

大和三山 ( 奈良県 橿原市 )

香具山(かぐやま。天香久山とも)・耳成山(みみなしやま)・畝傍山(うねびやま)の三山をいう。標高約140~200mの低い山で、奈良盆地の南部に三角形を作るように並び、そのほぼ中心に藤原宮跡が位置する。奈良盆地の各所から眺められ、緑したたる叙情的な印象が、万葉集*1のよい題材に選ばれてきた。「続日本紀」によると、708(和銅元)...

奈良県立橿原考古学研究所附属博物館の写真

写真提供:パーソナル企画

奈良県立橿原考古学研究所附属博物館 ( 奈良県 橿原市 )

近鉄橿原線畝傍御陵前駅から南西へ約300mのところにある。藤ノ木古墳*1や唐古・鍵遺跡*2をはじめ、橿原考古学研究所が発掘調査した奈良県内の遺跡*3から出土した考古資料を中心に約3,700点を展示。資料は旧石器時代から室町時代までにわたり、日本の歴史を目でたどることができる。この常設展のほか、春と秋には特別展、夏には主に前年度に...

室生寺の写真

写真提供:パーソナル企画

室生寺 ( 奈良県 宇陀市 )

近鉄大阪線室生口大野駅から南へ約6.5km、室生川の上流の山間にある。室生川にかかった朱塗りの太鼓橋を渡り、「女人高野室生寺」の石柱が立つ門前を右折して進めば、左手に寳物殿*1が見え仁王門となる。これをくぐり参道を直進し左に折れ、鎧坂の石段を登れば弥勒堂*2と金堂(国宝)*3が並び、一段上がると伽藍の中心となる国宝の本堂(灌頂堂...

宇太水分神社の写真

宇太水分神社 ( 奈良県 宇陀市 )

近鉄大阪線榛原駅から南へ約7.5km、芳野川(ほうのがわ)の河畔から参道がつづき、緑豊かな社叢に包まれるように建つのが宇太水分神社。延喜式の式内社の大和四水分社*1の一つとされ、水源を象徴し、水を分配する水神・天之水分神と、速秋津彦命、国之水分神の3柱を祀っている。創建は不詳だが、崇神天皇の勅命によって祀られたとも言い伝え...

宇陀市松山の町並みの写真

写真提供:パーソナル企画

宇陀市松山の町並み ( 奈良県 宇陀市 )

宇陀市松山は、近鉄大阪線榛原駅から南へ約7km、奈良盆地の南東、宇陀山地を流れる宇陀川流域に発達した町で、古くは柿本人麿呂*1の歌にも詠まれた宮廷の狩場、阿騎野(あきの)の地にあたる。戦国時代に「宇陀三将」と称された秋山氏*2がここを拠点として城砦を構えたが、のちに豊臣家の支配下になり、さらに江戸時代に入って1615(元和元)...

森野旧薬園の写真

写真提供:パーソナル企画

森野旧薬園 ( 奈良県 宇陀市 )

近鉄大阪線榛原駅から南へ約7km、旧街道に面して「元祖吉野葛」の看板を掲げる森野吉野葛本舗の裏山に広がるのが森野旧薬園である。1729(享保14)年に幕府薬草御用植村政勝(左平次)*1が大和へ薬草の採取に赴いた折り、葛粉製造を生業とする森野家の11代目森野通貞(初代・藤助)*2がこれに随行した。森野通貞(藤助)はその功によって幕府か...

大峯山寺の写真

写真提供:一般財団法人奈良県ビジターズビューロー(写真:矢野建彦)

大峯山寺 ( 奈良県 天川村 )

紀伊半島の中央部、南北50kmにわたって標高1,000~1,900m級の峰が連なっている大峰山脈。その北部の主峰・山上ヶ岳(標高1,719m)の山頂に大峯山寺はある。修験道の根本道場であり、古来、多くの修験者や信者を迎えてきた。7世紀後半に役行者*1が金峯山(大峰山脈北端の吉野山から山上ヶ岳までの一帯)で修行中に金剛蔵王権現を感得、その御...

金峯山寺の写真

写真提供:パーソナル企画

金峯山寺 ( 奈良県 吉野町 )

金峯山寺は修験道の根本道場で、吉野山はこの寺を中心に発展してきた。伝承によれば、7世紀後半、役行者*1が金峯山(吉野山から山上ヶ岳〈大峰山〉にかけての山々)で修行中に金剛蔵王権現を感得、その姿を桜の木に刻んで、山上(山上ヶ岳)と山下(吉野山)に堂を建てて祀った。これが金峯山寺の始まりとされ、山上の蔵王堂が現在の大峯山寺...

吉野水分神社の写真

写真提供:パーソナル企画

吉野水分神社 ( 奈良県 吉野町 )

吉野山の上千本にある古社。近鉄吉野駅前の千本口駅からロープウェイで3分の吉野山駅下車、そこから吉野山の尾根道を3kmほど上った所に位置する。水の分配を司る天之水分大神を主祭神とし、ほかに玉依姫命(神像の玉依姫命坐像*1は国宝)らを祀る。子守宮とも呼ばれ、安産・子授け・子どもの守護神として信仰されている。創建年代は定かでは...

如意輪寺の写真

如意輪寺 ( 奈良県 吉野町 )

近鉄吉野線吉野駅前の千本口駅からロープウェイに乗り、約3分で吉野山駅に着く。吉野山駅からは3kmほど。近鉄吉野駅からは、県道37号線で約4km。金峯山寺や吉水神社などがある尾根筋とは沢を挟み、北東方向の尾根筋の中腹にある。  創建は、寺伝によれば、延喜年間(901~923年)醍醐天皇が帰依していたという日蔵(道賢)*1を開基とし、古...

玉置神社の写真

玉置神社 ( 奈良県 十津川村 )

奈良、和歌山、三重3県の県境近く、大峰山脈の南端に位置する標高1,076mの玉置山の山頂近くに鎮座している。創建は、社伝*1では紀元前37年の崇神天皇の時代と伝えているが不詳。ただ、古くより熊野から吉野に至る熊野・大峰修験の行場*2の一つとされ、平安時代には神仏混淆となり玉置三所権現と称し崇敬を集め、修験道の霊場*3として社殿な...

丹生川上神社(中社)の写真

写真提供:丹生川上神社(中社)

丹生川上神社(中社) ( 奈良県 東吉野村 )

近鉄吉野線大和上市駅から東へ約21km(または近鉄大阪線榛原駅から南へ約21km)、吉野川の支流高見川沿いの谷あいを遡った、河岸に建つ。境内は、川に沿って細長く、杉の大木に守られるようにして一段高い所に拝殿、その奥に本殿、東殿・西殿などの社殿が並ぶ。本殿、東殿・西殿は江戸末期に造替したもの。殿内収蔵の平安時代後期~鎌倉時代...

竹林院群芳園の写真

竹林院群芳園 ( 奈良県 吉野町 )

近鉄吉野線吉野駅前の千本口駅からロープウェイに乗り、約3分の吉野山駅下車、そこから吉野山上の尾根道を約1.6km進んだところにある。寺伝によると、竹林院は聖徳太子が創建し、のちに空海が入峰の折に一宇を設け椿山寺としたと伝わる。記録に残されているものとしては、平安期の史書「扶桑略記」に「道賢(今名日藏*1)以去延喜十六(916)...

法輪寺の写真

法輪寺 ( 奈良県 斑鳩町 )

JR関西本線(大和路線)法隆寺駅から北へ2.6km、法隆寺から北へ1.5kmほどのところにある。法琳寺あるいは三(御)井寺(みいのてら)とも称された。創建には2説が伝えられている。一つは、670(天智天皇9)年の斑鳩寺(法隆寺)焼失後、3人の高僧が合力して造寺したとする説*1。もう一つは622(推古天皇30)年に聖徳太子の長子、山背大兄王が...