法起寺ほうきじ

JR関西本線(大和路線)法隆寺駅から北東へ約2.5km、法隆寺から北東へ約2kmのところにあり、もとは岡本寺(おかもとでら)・池後尼寺(いけじりにじ)とも称した。706(慶雲3)年完成とされる三重塔*1にあった露盤銘*2によると、聖徳太子の岡本宮を山背大兄王が寺に改め、638(舒明天皇10)年に金堂が建立、685(天武天皇10)年に三重塔の建立が発願されたという。金堂と塔の位置が法隆寺と逆で、法起寺式伽藍配置と呼ばれるが塔以外は近世の再建*3である。講堂*4の本尊は平安期の十一面観音菩薩像であったが、現在は収蔵庫に安置され、公開されている。
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みどころ

斑鳩の里の田園風景に、三重塔がすっくりと立つのがよく似合う。境内に入ると、三重塔はどっしりとした構えで、細かく見ると法隆寺の五重塔の作りに似ていることに気が付く。境内には収蔵庫の十一面観音立像以外見るべきものは少ないが、この三重塔はじっくりと向き合いたくなるほど立ち姿が美しい塔である。
 法起寺へは、法隆寺から夢殿、中宮寺を抜け、田園風景のなか、中宮寺跡を経て、三重塔を遠望しながら向かうのをお勧めする。
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補足情報

*1 三重塔:露盤銘により685(天武天皇14)年に塔の建立を発願、706(慶雲3)年完成とされる三重塔。法隆寺五重塔と同じく、中央部にふくらみ(胴張り)のある柱や軒を支える雲形の装飾のある斗形と肘木(雲形斗栱・くもがたときょう)を使い、初層・2層の柱間は3間、3層目は2間とする。高欄もまた法隆寺と同じ卍崩しである。高さ約24m。なお、1262(弘長2)年をはじめ、再三修復が行われたため建立当時の形式が不明な点も多かったものの、1970~1975(昭和45~50)年の解体修理により、極力、復元された。現存日本最古の三重塔で、国宝に指定されている。
*2 露盤銘:塔の頂部に立つ相輪の基部にある方形の盤に記された銘。法起寺の露盤銘には聖徳太子が崩御された際、「推古天皇三十(622年)二月二十二日。臨崩之時。於山代兄王(山背大兄王)勅御願旨。此山本宮殿宇ノ即處專爲作寺」と、聖徳太子がかつて法華経を講じた山本(岡本)宮を太子の長子、山背大兄王が寺にしたことが記されている。また、「白鳳十四(天武天皇14年)惠施僧正。将御願構立塔。而丙午年(慶雲3年)3月。露盤營作。」と、塔の露盤が慶雲3(706)年3月に作られたことも記録されている。
*3 再建:江戸中期の「大和名所図絵」では草創から「一千餘年をへぬれば、堂舎おのづから朽ちぬ。延寶六(1678)年具足戒の律師(戒律を厳しく守る高僧)再建ありて、草堂を立てられしなり」としている。
*4 講堂:棟札によると1694(元禄7)年の再建。それ以前の講堂のものとみられる礎石も遺されている。

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