寳山寺
近鉄奈良線・けいはんな線生駒駅の駅前にある生駒ケーブル線鳥居前駅から5分、宝山寺駅下車。生駒山の東側中腹にあり、「生駒の聖天(しょうてん)さん」の名で親しまれている。役行者(えんのぎょうじゃ)および空海の修行場*1と伝えられ、古来から弥勒菩薩の浄土とも考えられていたこの地に1678(延宝6)年、宝山湛海*2が歓喜天*3を祀り、当初は都史陀山無動寺(としたさんむどうじ)と称した。参道には灯篭が立ち並び、般若窟と呼ばれる大岩壁を背に本堂・聖天堂・多宝塔・絵馬堂・獅子閣*4などが甍を連ねる。聖天堂には湛海72歳の作である五大明王像*5が鎮座する。石仏が林立する先には奥の院がある。
みどころ
まず、目を引くのは、寺院であるのに鳥居があること。これは神仏習合の修験道の霊場であったことや本尊である歓喜天が仏教の守護神のため結界に入る時に禊が必要であったことに由来しているという。般若窟という大岩壁を背に堂宇が並び、かつての修験道の雰囲気を色濃く残している境内で、今も現世利益を願う大阪商人をはじめ、多くの人々の参詣が絶えない。
補足情報
*1 役行者および空海の修行場:室町期の「役行者本記」によれば、「天武帝白鳳中、小角(役行者)登伊駒嶽連日苦修」と役行者は生駒山で苦行を行い、その修行の最中に「前鬼・後鬼」伝説となる鬼が現れ、それを改心させ、終生役行者に従う義覚・義賢に出会ったとしている。この修行の場が大岩壁の「般若窟」だったとされる。寺伝では空海もこの地で修行したとされ、江戸前期の「和漢三才図会」では本堂について「本堂額弘法大師筆銘寳山寺幸求得之故改稱寳山寺云云」としており、弘法大師の筆による「寳山寺」と銘が幸い手に入ったので、「無動寺」から寺号を「寳山寺」と改称したとしている。
*2 宝山湛海:1629~1716年。修行僧、彫刻家。伊勢(三重県)の生まれ。宝山律師とも称される。18歳で出家し、諸国修行のあと、生駒山に役行者の足跡を慕い、入山し苦行ののち、1678(延宝6)年、寳山寺を開山した。造仏に長け、とくに激しい気迫を感じさせる忿怒形の不動明王など作像が多い。当寺の五大明王のほか、法隆寺および唐招提寺の不動明王像などの作品で知られる。
*3 歓喜天:歓喜天はインド古代神話に出て来る神とされ、仏教守護神の一つ。日本では歓喜自在天・難提自在天・大聖歓喜天と称され、一般には、「聖天様」と呼ばれ、崇敬を集めている。もともとは人間に障害をなす鬼類であったが、観音菩薩が女身として近づき夫婦となり、人間の障害を除く神になったということから、形像は双身像と単身像がみられる。
*4 獅子閣(ししかく):1884(明治17)年迎賓館として建てられた2階建の洋風建築。ステンドグラスが美しい。重要文化財。
*5 五大明王像:1701(元禄14)年湛海作の墨書銘をもつ不動明王ほか降三世・軍荼利・大威徳・金剛夜叉の四明王からなる。湛海72歳の作ながら、力強い優作である。
*2 宝山湛海:1629~1716年。修行僧、彫刻家。伊勢(三重県)の生まれ。宝山律師とも称される。18歳で出家し、諸国修行のあと、生駒山に役行者の足跡を慕い、入山し苦行ののち、1678(延宝6)年、寳山寺を開山した。造仏に長け、とくに激しい気迫を感じさせる忿怒形の不動明王など作像が多い。当寺の五大明王のほか、法隆寺および唐招提寺の不動明王像などの作品で知られる。
*3 歓喜天:歓喜天はインド古代神話に出て来る神とされ、仏教守護神の一つ。日本では歓喜自在天・難提自在天・大聖歓喜天と称され、一般には、「聖天様」と呼ばれ、崇敬を集めている。もともとは人間に障害をなす鬼類であったが、観音菩薩が女身として近づき夫婦となり、人間の障害を除く神になったということから、形像は双身像と単身像がみられる。
*4 獅子閣(ししかく):1884(明治17)年迎賓館として建てられた2階建の洋風建築。ステンドグラスが美しい。重要文化財。
*5 五大明王像:1701(元禄14)年湛海作の墨書銘をもつ不動明王ほか降三世・軍荼利・大威徳・金剛夜叉の四明王からなる。湛海72歳の作ながら、力強い優作である。
関連リンク | 寳山寺(WEBサイト) |
---|---|
参考文献 |
寳山寺(WEBサイト) 「和漢三才図会 下之巻」124/921 国立国会図書館デジタルコレクション 高野山霊宝館(WEBサイト) 「日本大百科全書(ニッポニカ)」小学館 「役行者本記」 13/28 京都大学附属図書館 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ |
2024年12月現在
※交通アクセスや料金等に関する情報は、関連リンクをご覧ください。