柿の葉寿司かきのはずし

吉野地方に伝わる郷土料理で、一口大ほどの酢飯に塩サバなどをのせて柿の葉で包み、押しをかけた寿司。今では一年中食べられるが、本来は夏祭りのごちそうだった。
 起源は不詳だが、江戸時代中期には柿の産地だった五條や吉野川流域ですでに作られていたといわれている。海から離れた奈良盆地や紀伊山地の山里では、海産物は極めて貴重なものであり、しかもサバなど魚は保存のため塩漬けにして運ばれてきたが、塩が効きすぎているため調理方法の工夫が必要であった。このため、塩サバを薄く切り、一口大のにぎり飯に添えて食べるようになったといわれ、やがて乾燥を防ぐために柿の葉で包み、重石で余分な空気を抜き、数日寝かせて発酵させる調理法が考え出された。当時の柿の葉寿司は酢が貴重であったため、乳酸発酵させることによる「生なれすし」であった。それでも貴重品であり、祭りや祝い事など特別な日に供されたという。
 現在は、冷蔵や流通技術が発達し、ひと晩寝かせるだけの押しずしとなっている。ネタも古くはサバだけであったが、明治時代にサケも使われるようになり、現在は、タイ、アナゴ、エビなど様々な素材が使用されている。寿司を包む柿の葉には、抗菌作用や防腐効果があるとされ、そのなかでもしなやかで扱いやすく、抗菌作用があるとされるタンニン分が多い渋柿(平核無、刀根早生など)の葉が使われている。なお、石川県や鳥取県の一部で、同様に柿の葉を使用した寿司がある。
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みどころ

谷崎潤一郎は1939(昭和14)年に出版された「陰翳礼賛」のなかで、「食べるものでも、大都会では老人の口に合うようなものを捜し出すのに骨が折れる」としたうえで、何か「旨い料理」をという問いに「吉野の山間僻地の人が食べる柿の葉鮨」をあげ、その製法まで丁寧に語っている。そして「試しにも家で作ってみると、なるほどうまい。鮭の脂と塩気とがいゝ塩梅に飯に滲み込んで、鮭は却って生身のように柔かくなっている工合が何とも云えない…中略…物資に乏しい山家の人の発明に感心した」と絶賛している。
 現在は、吉野地方に限らず、奈良県の名物料理の一つとなっている。