平城宮跡
平城宮跡は、近鉄奈良線大和西大寺駅と同新大宮駅の間、佐紀路*1の南側に広々とした平地に遺された平城京*2の中心地であった史跡。現在は広大な遺跡公園となっている。平城京は710(和銅元)年に元明天皇により藤原京から遷都*3され、784(延暦3)年に桓武天皇により長岡京に遷されるまでの8代74年間の都であったが、延暦の遷都後は荒墟*4となった。1959(昭和34)年に至り、はじめて本格的な発掘調査が始められ、現在も調査研究が進められている。
平城宮は平城京の中央最北部に位置し、国家的儀式の場である大極殿を正殿としてその前面に十二堂と朝集殿を配した朝堂院を中心におき、その北側に天皇の居所である内裏があり、皇太子の住む東宮などの皇室殿舎のほか、宮城内のほぼ半分の面積を占めて二官八省の建物が並ぶ官庁街があったと推定されている。当初は1km四方と思われた宮城の地域は、発掘調査の結果、東辺部の北から3/4ほどが東へ約250m張り出していることがわかった。宮城の周囲には築地塀をめぐらせ、四方に3門ずつ、計12門を開き、南正面の朱雀門が正面であった。
平城宮跡は、1998年(平成10年)には「古都奈良の文化財」の構成資産の1つとして、世界遺産に登録され、現在、東西1.3km、南北1kmに及ぶ範囲を「国営飛鳥・平城宮跡歴史公園 平城宮跡区域」(「平城宮跡歴史公園」)として、遺跡の調査や復元や公園の整備が進められており、すでに第一次大極殿*5、大極門(第一大極殿院の正門)、朱雀門*6などが復元され、今後も復元整備が継続される計画である。公園西側の西大寺寄りには平城宮跡資料館*7、東北側には遺構展示館*8、東側に東院庭園*9、公園の南側には、復元された朱雀門の前に5つの複合施設を含む「朱雀門ひろば」*10が開設されている。
平城宮は平城京の中央最北部に位置し、国家的儀式の場である大極殿を正殿としてその前面に十二堂と朝集殿を配した朝堂院を中心におき、その北側に天皇の居所である内裏があり、皇太子の住む東宮などの皇室殿舎のほか、宮城内のほぼ半分の面積を占めて二官八省の建物が並ぶ官庁街があったと推定されている。当初は1km四方と思われた宮城の地域は、発掘調査の結果、東辺部の北から3/4ほどが東へ約250m張り出していることがわかった。宮城の周囲には築地塀をめぐらせ、四方に3門ずつ、計12門を開き、南正面の朱雀門が正面であった。
平城宮跡は、1998年(平成10年)には「古都奈良の文化財」の構成資産の1つとして、世界遺産に登録され、現在、東西1.3km、南北1kmに及ぶ範囲を「国営飛鳥・平城宮跡歴史公園 平城宮跡区域」(「平城宮跡歴史公園」)として、遺跡の調査や復元や公園の整備が進められており、すでに第一次大極殿*5、大極門(第一大極殿院の正門)、朱雀門*6などが復元され、今後も復元整備が継続される計画である。公園西側の西大寺寄りには平城宮跡資料館*7、東北側には遺構展示館*8、東側に東院庭園*9、公園の南側には、復元された朱雀門の前に5つの複合施設を含む「朱雀門ひろば」*10が開設されている。

みどころ
平城宮跡は、現在、平城宮跡歴史公園として整備中だが、まだ、朱雀門付近と第一次大極殿付近、東院庭園付近などを除けば広大な空き地でほとんどが茅の原であり、第一次大極殿や大極門、朱雀門などは復元されているものの、万葉集にある大宰府に赴任した太宰少弐小野老朝臣(おののおゆあそん)が詠んだという「あをによし寧楽の京師は 咲く花のにほふがごとく今さかりなり 」(奈良の都は、花の美しく咲くがごとく、今繁栄のさかりである)の面影はほとんどない。しかし、この広大な敷地から、その規模を伺い知ることができ、平城宮跡資料館などで当時の平城京の姿や繁栄ぶりを理解することができるので、ぜひ立ち寄りたい。
また、広々とした歴史公園では、四季に応じて園内や周囲の山々(青垣)から奈良盆地の自然の移ろいを感じることができ、1年を通じて、平城京の歴史に関連する多彩なイベントも催されている。
また、広々とした歴史公園では、四季に応じて園内や周囲の山々(青垣)から奈良盆地の自然の移ろいを感じることができ、1年を通じて、平城京の歴史に関連する多彩なイベントも催されている。

補足情報
*1 佐紀路:東大寺転害門から西に延びる一条通りは平城京の一条南大路にあたり、約3km先の法華寺あたりまでを佐保路、さらに法華寺から西大寺あたりまでの2.5kmほどを佐紀路と称され、南側に平城宮跡、北側には成務天皇陵(佐紀石塚山古墳)やウワナベ古墳などで構成される佐紀盾列(さきたたなみ)古墳群がある。
*2 平城京:平城京全体の範囲は、東西約4.3km、南北約4.8kmの長方形の街区と東側の東西約1.6km、南北約2.1kmの外京の街区と合わせ、総面積約2,500万m2であったといわれる。平城宮は、都の街区の北側の中央部にあり、メインストリートの朱雀大路(平城京の入口羅城門から平城宮の南端の正門朱雀門まで)の道幅は約75mあったことが確認されている。朱雀大路の左右に碁盤の目のように街区が整然と区画されており、10万人以上の人口を有していたと推定されている。羅城門は平城宮跡から南へ約4kmのところにある(現在の奈良市と大和郡山市の境)。
*3 遷都:「平城遷都詔」は、708(和銅元)年に出され、平城の地が選定した理由を「方今平城之地。四禽叶圖。三山作鎮。龜筮並従。宜建都邑」(平城の地は四神[=禽 青龍・白虎・朱雀・玄武]の立地に適しており、三山が鎮(鎮護)をなし、亀の甲を焼いて占った結果に従う)としている。三山は天香具山、畝傍山、耳成山の大和三山を指す。
*4 荒墟:平安時代後期の武人で歌人の源仲政は、平城宮の荒廃ぶりを「菫さくならの都の跡とては石ずゑのみぞ形見なりける」と、すでに平安後期には石礎しか遺っていないことを詠んでいる。また、1914(大正3)年に発行された「大和史料」では、近代に入ってからも「延暦以後荒墟ニ属シ、復タ舊観ノ見ルベキモノナキモ、三條五條六條七條八條九條京終(きょうはて)ハ町村名ニ存シ大宮、大極殿、内裏及ビ朱雀羅城等ノ小字モ其間ニ残レリ」という状況であったことを記している。
*5 第一次大極殿 :だいごくでん。天皇の即位式や外国使節との面会などに使用された、平城宮最大の宮殿。2010(平成22)年に復元され、現在の建物は正面約44m、側面約20m、地面より高さ約27m。天皇の玉座である高御座(たかみくら)が展示され、天井や小壁に鮮やかな彩色が施された内部も見学できる。第一次大極殿を中心とする第一次大極殿院の整備も南北約320m、東西約180mの区画で進められており、2022(令和4)年には大極門(南門)の復元が完了、さらに「築地回廊」「東西楼」も順次、復元公開される予定である。
*6 朱雀門 :平城宮の正門。かつては、朱雀門の左右には高さ6mの築地塀が巡らされており、平城宮を取り囲んでいた。現在の朱雀門は1998(平成10)年に間口約25m、高さ約22mの入母屋二重構造の門として復元されている。文化庁所管施設。
*7 平城宮跡資料館:奈良文化財研究所の附属施設。同研究所が1959(昭和34)年から現在も行っている平城宮・京跡の発掘調査の成果を展示する資料館。常設展示では、実際の平城宮跡の出土品のほか、当時の役所や宮殿内部を再現したジオラマなどもある。休館日は年末年始と月曜日(月曜が祝日の場合はその翌平日)。入館無料。公園の北西側、近鉄大和西大寺駅寄りにある。
*8 遺構展示館:文化庁所管の展示施設。平城宮跡の発掘調査で検出された遺構そのものを、覆屋(おおいや)と呼ばれる保護施設の中で保存・展示。また、井戸枠や木樋(もくひ)などの出土した遺物や内裏などの建物模型も展示解説されている。公園の北東の隅にある。
*9 東院庭園:「東宮」あるいは「東院」と呼ばれた平城宮跡東の張り出し部分に位置する。L字型の池を中心に、迎賓館のような役割を果たしていたといわれている。1967(昭和42)年に庭園遺構が発見され、1998(平成10)年に復元。国の特別名勝。文化庁所管施設。休館日は年末年始と月曜日(月曜が祝日の場合はその翌平日)。入館無料。公園の東南側、近鉄新大宮駅寄りにある。
*10 朱雀門ひろば :2018(平成30)年に完成した複合施設。平城宮の模型などが展示されているガイダンス施設「平城宮いざない館」、休憩スペースの「天平みつき館」、レストランとカフェ、土産物販売施設がある「天平うまし館」、修学旅行など団体客の集合スペース「天平つどい館」、展望デッキやVRシアターがある「天平みはらし館」が朱雀大路の両側に並ぶ。また「朱雀門ひろば」には「復原遣唐使船」が展示されており「天平うまし館」を通って船に乗り込むことができる。「平城宮いざない館」の休館日は2月・4月・7月・11月の第2月曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始。入館無料。その他の施設は年中無休。公園の南側中央にある。
*2 平城京:平城京全体の範囲は、東西約4.3km、南北約4.8kmの長方形の街区と東側の東西約1.6km、南北約2.1kmの外京の街区と合わせ、総面積約2,500万m2であったといわれる。平城宮は、都の街区の北側の中央部にあり、メインストリートの朱雀大路(平城京の入口羅城門から平城宮の南端の正門朱雀門まで)の道幅は約75mあったことが確認されている。朱雀大路の左右に碁盤の目のように街区が整然と区画されており、10万人以上の人口を有していたと推定されている。羅城門は平城宮跡から南へ約4kmのところにある(現在の奈良市と大和郡山市の境)。
*3 遷都:「平城遷都詔」は、708(和銅元)年に出され、平城の地が選定した理由を「方今平城之地。四禽叶圖。三山作鎮。龜筮並従。宜建都邑」(平城の地は四神[=禽 青龍・白虎・朱雀・玄武]の立地に適しており、三山が鎮(鎮護)をなし、亀の甲を焼いて占った結果に従う)としている。三山は天香具山、畝傍山、耳成山の大和三山を指す。
*4 荒墟:平安時代後期の武人で歌人の源仲政は、平城宮の荒廃ぶりを「菫さくならの都の跡とては石ずゑのみぞ形見なりける」と、すでに平安後期には石礎しか遺っていないことを詠んでいる。また、1914(大正3)年に発行された「大和史料」では、近代に入ってからも「延暦以後荒墟ニ属シ、復タ舊観ノ見ルベキモノナキモ、三條五條六條七條八條九條京終(きょうはて)ハ町村名ニ存シ大宮、大極殿、内裏及ビ朱雀羅城等ノ小字モ其間ニ残レリ」という状況であったことを記している。
*5 第一次大極殿 :だいごくでん。天皇の即位式や外国使節との面会などに使用された、平城宮最大の宮殿。2010(平成22)年に復元され、現在の建物は正面約44m、側面約20m、地面より高さ約27m。天皇の玉座である高御座(たかみくら)が展示され、天井や小壁に鮮やかな彩色が施された内部も見学できる。第一次大極殿を中心とする第一次大極殿院の整備も南北約320m、東西約180mの区画で進められており、2022(令和4)年には大極門(南門)の復元が完了、さらに「築地回廊」「東西楼」も順次、復元公開される予定である。
*6 朱雀門 :平城宮の正門。かつては、朱雀門の左右には高さ6mの築地塀が巡らされており、平城宮を取り囲んでいた。現在の朱雀門は1998(平成10)年に間口約25m、高さ約22mの入母屋二重構造の門として復元されている。文化庁所管施設。
*7 平城宮跡資料館:奈良文化財研究所の附属施設。同研究所が1959(昭和34)年から現在も行っている平城宮・京跡の発掘調査の成果を展示する資料館。常設展示では、実際の平城宮跡の出土品のほか、当時の役所や宮殿内部を再現したジオラマなどもある。休館日は年末年始と月曜日(月曜が祝日の場合はその翌平日)。入館無料。公園の北西側、近鉄大和西大寺駅寄りにある。
*8 遺構展示館:文化庁所管の展示施設。平城宮跡の発掘調査で検出された遺構そのものを、覆屋(おおいや)と呼ばれる保護施設の中で保存・展示。また、井戸枠や木樋(もくひ)などの出土した遺物や内裏などの建物模型も展示解説されている。公園の北東の隅にある。
*9 東院庭園:「東宮」あるいは「東院」と呼ばれた平城宮跡東の張り出し部分に位置する。L字型の池を中心に、迎賓館のような役割を果たしていたといわれている。1967(昭和42)年に庭園遺構が発見され、1998(平成10)年に復元。国の特別名勝。文化庁所管施設。休館日は年末年始と月曜日(月曜が祝日の場合はその翌平日)。入館無料。公園の東南側、近鉄新大宮駅寄りにある。
*10 朱雀門ひろば :2018(平成30)年に完成した複合施設。平城宮の模型などが展示されているガイダンス施設「平城宮いざない館」、休憩スペースの「天平みつき館」、レストランとカフェ、土産物販売施設がある「天平うまし館」、修学旅行など団体客の集合スペース「天平つどい館」、展望デッキやVRシアターがある「天平みはらし館」が朱雀大路の両側に並ぶ。また「朱雀門ひろば」には「復原遣唐使船」が展示されており「天平うまし館」を通って船に乗り込むことができる。「平城宮いざない館」の休館日は2月・4月・7月・11月の第2月曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始。入館無料。その他の施設は年中無休。公園の南側中央にある。
関連リンク | 平城宮跡歴史公園(WEBサイト) |
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参考文献 |
平城宮跡歴史公園(WEBサイト) 奈良市観光協会「平城宮跡歴史公園」(WEBサイト) 「国営飛鳥・平城宮跡歴史公園 平城宮跡区域基本計画」平成20年 国土交通省 近畿地方整備局 「平城宮跡歴史公園拠点ソーン整備計画」平成25年 国土交通省 近畿地方整備局国営飛鳥歴史公園事務所・奈良県土マネジメント部まちづくり推進局平城宮跡事業推進室 佐佐木信綱「万葉集(現代語訳付)」3巻328 Kindle 版 |
2024年12月現在
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