春日若宮おん祭かすがわかみやおんまつり

春日大社の摂社で、本社の南東に鎮座する若宮の例祭。若宮は春日大社の本殿の祭神、天児屋根命*1と比売神*2の御子神である天押雲根命(あめのおしくもねのみこと)を祭神とする。祭神は1003(長保5)年に出現したといわれ、水徳の神と仰がれた。長承年間(1132~1135年)の大雨洪水などによる飢饉・疫病蔓延に対し、関白藤原忠通*3が終息を祈願し、1135(保延元)年に社殿を造営した。その翌年の旧暦9月17日に神助を願い始まった祭りである。以後、五穀豊穣、万民安楽を祈り、途切れなく催行されている。現在は、祭事については、7月1日の流鏑馬定に始まり、10月1日の御旅所の行宮の縄棟祭などの準備が順次に進められ、中心神事*4は12月15日の大宿所詣、御湯立(みゆたて)で始まり、18日まで執り行われる。16日夕方からは若宮で宵宮祭が催され、17日0時からは暗闇の中、若宮様をお遷しする遷幸の儀が行われる。17日正午からはお渡り式で、平安から江戸時代の風俗が見られる豪華な時代行列が市街を練り、一之鳥居へ入る。また、稚児流鏑馬と競馬も行われる。このあと夜も更けるまで御旅所の芝舞台で神事芸能*5の奉納があり、日付けが変わる前に若宮様は本殿にお遷りになる。18日は能楽と相撲が奉納され、祭りは終わりを告げる。お渡り式と神事芸能は国指定の重要無形民俗文化財。
#

みどころ

春日大社の摂社若宮や境内で行われる遷幸の儀、還幸の儀などの神事では神職の警蹕(けいひつ・先払いの者が発する掛け声)の声や雅楽の音が緑豊かな春日野に響き、古式豊かな神事の雰囲気を盛り上げている。御旅所に向かう古式の衣装をまとった渡御の行列「お渡り式」が、奈良の市街地を進むところがみどころ。とくに春日大社の一之鳥居をくぐる辺りの光景は、緑多い神域の中を行列が進む素晴らしいものだが、見物客も多い。一之鳥居をくぐった参道で行われる「松の下式」、「御旅所」で行われる「御旅所祭」では、古代から近世に紡がれ、現在まで受け継がれた芸能が奉納される。一部の神事を除き多くの神事については、見学、観覧が可能(写真撮影が不可のものもある)だが、「お渡り式」の行列や「御旅所祭」については、「有料」の「桟敷席」も設けられている。
#

補足情報

*1 天児屋根命:あめのこやねのみこと。中臣(藤原)氏の祖神。中臣氏は古代に宮廷の祭祀を司った。「古事記」や「日本書紀」では、天の岩戸から天照大神を呼び戻すための神意を問う占いなどを行った。
*2 比売神:ひめがみ。天児屋根命の后神とも、天照大神ともいわれている。
*3 藤原忠通:1097~1164年。摂政関白、左大臣、太政大臣などを歴任。崇徳上皇と鳥羽上皇の皇位継承の抗争で、鳥羽上皇側につき、後白河天皇の即位を後押ししたが、これらの出来事が保元の乱(1156年)の一因ともなっていった。乱後、崇徳上皇方についた父忠実の流罪を防ぎ、摂関家の権力保持に尽力した。 和歌、漢詩に通じ、能書家としても知られている。
*4 神事:12月17日の本祭は、「遷幸の儀」にはじまり、「暁祭」「本殿祭」と続き、正午から「お渡り式」が行われる。「お渡り」の約1,000名の行列は奈良県庁前から奈良市街を巡行し、三条通りを春日大社参道に向かい、一之鳥居を入って左手にある「御旅所」に入る。その行列は第1番から第12番(日使、巫女、細男・相撲、猿楽、田楽、馬長児、競馬、流鏑馬、将馬、野太刀他、大和士、大名行列)に仕立てられ、それぞれが古来のしきたりを守りつつ進む。「御旅所」では神事に続いて神楽からはじまり、次々に神事芸能が奉納され、参道では競馬や稚児による流鏑馬が行われる。深夜の還幸の儀で締めくくられる。
*5 神事芸能:能楽の起源とされる大和猿楽四座が参勤していた春日大社では、現在の「春日若宮おん祭」でも原初的な猿楽が催されている。「お渡り式」では一之鳥居脇にある「影向(ようごう)の松」の前の参道で、「松の下式」という儀式において猿楽や田楽の一節や舞が披露される。また、「御旅所」で東遊、田楽、細男、神楽式、和舞、舞楽が次々と上演され夜遅くまで奉納される。ここに設けられる芝地の舞台が「芝居」という言葉の語源となったともいわれている。