帯解寺おびとけでら

JR桜井線(万葉まほろば線)帯解駅から北200mほどのところにある。寺伝では勤操を開基とする巖渕千坊*1の一院で霊松庵であったとされ、文徳天皇の皇后藤原明子が子がなく悩んでいた折、同庵の地蔵菩薩に祈願をしたところ、見事懐妊し、無事にのちの清和天皇を安産したことから、858(天安2)年に伽藍を建立し、寺号を「無事安産し、腹帯が安らかに解けた寺」帯解寺に改めたと伝えられている。このため、かつては地蔵院と呼ばれ、帯解地蔵*2あるいは子安地蔵の名で親しまれてきた。本尊の木造地蔵菩薩半伽像はわが国最古の求子安産の霊像で像高183cmの彩色像。鎌倉初期の作である。現在でも安産祈祷・求子(子授け)祈祷・お礼参りに、戌の日などには多くの参詣客が訪れる。
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みどころ

境内は決して広くはないが、安産祈願に良いとされる戌(いぬ)の日となれば、多くの参詣者が訪れる。とくに、女性や若いカップル、小さな子供連れの家族らが数多く見られ、事務所には腹帯も展示されており、他のお寺ではみられない光景となっている。また、古来より安産の守護神とされる犬の可愛らしい絵馬やお守りなども印象的。本尊も柔和な顔でふくよかさに溢れ、優しい雰囲気が漂う。ただ、本尊の一般拝観については、祈祷を受ける参詣者が多い場合にはできないこともある。なお、車で向かう場合、駐車場は十分な台数が用意されているが、古くからの街道である周辺道路は狭いため、気をつけて運転したい。
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補足情報

*1 巖渕千坊:古代に高円山にあったとされる石淵寺に関連するとみられている。同寺の開基勤操(754~827年)は、大安寺で三論教学を学び、石淵寺で法華八講を創始したといわれ、空海に山林修行の行法を授けたとも伝えられる。
*2 帯解地蔵:本尊の地蔵菩薩像は腹上に裳の上端の布や結び紐が彫りこまれ、あたかも腹帯を付けている様にみえることから「腹帯地蔵」といわれ、安産祈願の対象として信仰されてきた。江戸中期の「大和名所図会」の境内図でも「帯解地蔵」として多くの参詣客が描かれている。