安倍文殊院あべもんじゅいん

JR桜井線(万葉まほろば線)・近鉄大阪線桜井駅から南へ約1.5kmのところにある。大化の改新に際し、中大兄皇子(天智天皇)を支え、その後も右大臣蘇我倉山田石川麻呂とともに左大臣として朝廷の中枢にいた阿倍倉梯麻呂*1が崇敬寺(そうきょうじ)と称し創建されたと伝えられる。創建時は、現在地より南西にあったとされ、現在はその地は安倍寺跡*2(国指定史跡)として史跡公園になっている。鎌倉時代に現在地に移転したと考えられており、1563(永禄6)年に兵火に遭い焼失したため、1571(元亀2)年に文殊堂が、1665(寛文5)年には現・本堂と礼堂(能楽舞台)が再建された。現在は、文殊池の池畔に本堂、釈迦堂、本坊などが建ち並ぶ。本尊の木造騎獅文殊菩薩および脇侍像*3は国宝に指定されている。境内の東端にある白山堂は室町時代後期に当寺の鎮守社として建立され、唐破風付き1間社流造、柿葺の社殿は国指定重要文化財となっている。また、境内には1985(昭和60)年に完成した金閣浮御堂・霊宝館*4が文殊池に張り出しており、文殊院西古墳*5・閼伽井(あかい)古墳などもある。
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みどころ

駐車場から入ると、まず、金閣浮御堂が文殊池にきらびやかに映え目を引く。境内は四季それぞれにサクラやツツジ、コスモス、紅葉などが彩る。ここでの見どころは、やはり本尊の木造騎獅文殊菩薩と脇侍像だろう。獅子に乗った文殊菩薩像の迫力と力強さを鎌倉期の仏師の技が引き出しているのがわかる。また、この寺を建立した阿倍倉梯麻呂の墓とされる西古墳を見学するのも面白い。現在は弘法大師が造ったという願掛け不動が祀られているが、古墳時代終末期のしっかりとした石組みを見て取れる。大化の改新の激動期を穏健派といわれながら乗り越え、左大臣に昇り詰めた阿倍倉梯麻呂の墓だと聞くと、より一層興味深い。
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補足情報

*1 阿倍倉梯麻呂: あべのくらはしまろ。 生年不詳。649(大化5)年没。内麻呂ともいう。645(大化元)年左大臣。
*2 安倍寺跡:遺構は200m四方。伽藍は南面し、東側の土壇は金堂跡、西側の土壇は塔跡とみられる。北側にも講堂跡とみられる土壇が遺されていることから法隆寺式の伽藍配置とみられる。北に接して鎌倉時代の平窯跡もある。
*3 文殊菩薩および脇侍像:本尊文殊を中心に優填王(うでんのう・右後)、善財童子(ぜんざいどうじ・右前)、維摩居士(ゆいまこじ・左後)、須菩提(すぼだい・左前)の4躯が囲む。1203(建仁3)年、名仏師快慶の壮年期の作とされる。本尊は巨大な獅子に乗り、総高7mにおよぶ。獅子と須菩提像は後補。
*4 金閣浮御堂・霊宝館:遣唐使として中国に渡り玄宗皇帝にも仕えた安倍仲麻呂や陰陽師として知られる安倍晴明は当山で生まれたと伝えられており、安倍仲麻呂や安倍清明の坐像などが展示公開されているとともに、特別公開時には寺宝も展示される。
*5 文殊院西古墳:7世紀半ばに建造され、良質な花崗岩を加工し左右対称に石組みが当時のまま遺されている。天井岩は一枚の石で中央部分はアーチ状になっている。阿倍倉梯麻呂の墓とされる。
関連リンク 安倍文殊院(WEBサイト)
参考文献 安倍文殊院(WEBサイト)
桜井市観光協会(WEBサイト)
「奈良県の歴史散歩(上)奈良北部」山川出版社
朝日日本歴史人物事典 朝日新聞出版
文化遺産オンライン(WEBサイト)

2024年12月現在

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