岡寺
近鉄橿原神宮前駅から東へ約5km、明日香村の東の山腹に位置する。西国三十三所観音霊場の第7番札所。龍蓋寺ともいうが、古くから地名由来の「岡寺」の名で親しまれ、現在では宗教法人としての名も「岡寺」となっている。仁王門*1をくぐり石段を上ると、本尊の塑造如意輪観音坐像*2を安置する本堂*3を中心に、古書院*4、開山堂*5、三重宝塔*6、大師堂、楼門、龍蓋池などがある。仁王門の手前には、創建時の伽藍の一部とみられる基壇跡や瓦が出土した治田(はるた)神社がある。
創建の縁起*7は、天武天皇の皇子で、母親が持統天皇である草壁皇子*8が住んでいた岡宮を義淵*9が賜り、寺としたのが始まりと伝えられ、7世紀末から8世紀初頭の建立とみられている。境内一帯は国指定の史跡になっており、白鳳時代後期から奈良時代の遺物*10が発掘されている。
創建の縁起*7は、天武天皇の皇子で、母親が持統天皇である草壁皇子*8が住んでいた岡宮を義淵*9が賜り、寺としたのが始まりと伝えられ、7世紀末から8世紀初頭の建立とみられている。境内一帯は国指定の史跡になっており、白鳳時代後期から奈良時代の遺物*10が発掘されている。
みどころ
明日香村の中心部にある「岡寺前」バス停脇から、石鳥居をくぐって坂道を東へ500mほど上ったところに、仁王門が建つ。この門はどっしりとした構えで、大寺の風格を感じさせる。仁王門をくぐって石段を上り詰めると、豪壮な本堂や開山堂などが建ち並ぶ。それらから少し離れた一段高いところには、朱塗りの三重宝塔が建ち、塔の前からは飛鳥の里を望める。この寺での最大のみどころは、やはり、わが国最大の塑像である如意輪観音坐像。塑像らしく白さが目立つ、エキゾチックな雰囲気がある尊顔を間近に仰ぎ見ることができる(1~3月は一般の堂内拝観はできないが、堂外からお顔を拝せる)。境内はシャクナゲの名所。同時期にはサツキやボタンも咲き、アジサイや紅葉も楽しめる。また、近年は手水舎に折々の花などを浮かべる「華手水舎」が人気を呼んでいる。
補足情報
*1 仁王門:1612(慶長17)年の建立。正面両脇に仁王像を安置。この門には、1472(文明4)年の大風で倒壊した三重塔を再建するために集められた部材が使用されている(三重塔は再建に至らなかったため、その部材を転用した)ことが、1967~1968(昭和42~43)年の解体修理の際の調査で分かっている。国指定の重要文化財。
*2 如意輪観音坐像:当寺の本尊で、厄除観音として信仰されている。高さ4.85mで、わが国最大の塑像。天平時代の作である。胎内からは金銅造如意輪観音半跏像が見つかっている。いずれも国指定の重要文化財。
*3 本堂:入母屋造唐破風付きの豪壮な建物で、1805(文化2)年の再建。1~3月は堂内で随時「やくよけ法要」が行われるため、一般の内陣参拝期間は4~12月となっている。
*4 古書院:墨書きの落書きから1644(寛永21)年頃の建立と見られている。国指定の重要文化財。非公開。
*5 開山堂:本堂に向かって左側に建つ妻入りの三間堂。多武峰妙楽寺(現・談山神社)から同寺の護摩堂だったものを1871(明治4)年に移築した建物で阿弥陀三尊を安置している。
*6 三重宝塔:鎌倉時代に書かれた「諸寺建立次第」には三重塔の存在が記されており、旧境内地(現治田神社)に建っていたとみられるが、1472(文明4)年7月の大風により倒壊した。1984(昭和59)年から復興に着手し、1986(昭和61)年に再建。1994(平成6)年からは塔内の壁画などの作成に着手し、2001(平成13)年に完成した。
*7 創建の縁起:平安後期の「東大寺要録」では、草壁皇子と一緒に養育された「宮」(岡宮)を「以宮賜義淵爲寺號龍蓋寺(義淵が賜り寺となし、龍蓋寺と号した)」としている。
*8 草壁皇子:682~689年。天武天皇の子。日並知(ひなめしの) 皇子とも。壬申の乱(672年)に際しては、大海人皇子(のちの天武天皇)に従った。壬申の乱で勝利した大海人皇子は即位し、草壁皇子は681(天武天皇10)年には皇太子となったものの、天武天皇没後、皇后である持統天皇が即位しないまま政務を執りしきる称制をとり、結局、草壁皇子は天皇に即位しないまま逝去した。
*9 義淵:生没年不詳。奈良時代、法相宗の僧。大和国高市郡の出身。俗姓は百済王の子孫市往(いちき)氏または阿刀(あと)氏。平安後期の「東大寺要録」や「今昔物語集」には出自が記されており、子供がいなかった両親が「其事ヲ歎キテ年来観音二祈リ申ス間ニ。夜ル聞ケバ後ノ方ニ兒ノ泣ク音有リ。是ヲ怪ムテ出デ見ルニ。柴ノ垣ノ上ニ白帖(幕)ニ被裹(つつみかぶれ)タル者有リ。取リ下シテ見レバ端正美麗ナル男子白帖ノ中ニアリ」(今昔物語集)として、両親は観音によって授かった子として育てたという。これを聞いた天智天皇は「日並知皇子」(草壁皇子)とともに宮(岡宮)に移し置き、養育したとしている。その子が義淵であり、703(大宝3)年には僧正となり、南都仏教の中心的存在となった。とくに興福寺系法相宗の開祖ともいわれ、行基、玄昉、良弁などが弟子だったとされる。龍蓋寺(岡寺)、龍門寺、龍福寺、龍泉寺、龍象寺の五箇龍寺の開山。岡寺に伝わる国宝の義淵僧正坐像は像高93cm、木心乾漆造。しわだらけの顔、あばら骨の浮き出た胸など写実的に表現されている。天平から貞観にかけて造像された。奈良国立博物館に寄託中。
*10 遺物:代表的なものは国指定重要文化財の天人文甎(てんにんもんせん)。膝をつき両手をあげた天人の美しい浮彫を施したほぼ40cm平方の甎(せん レンガ)で、白鳳末ごろのものといわれている。いずれかのお堂の須弥壇の腰にはめられていたものと推測されている。京都国立博物館に寄託されており、当寺では複製を見ることができる。
*2 如意輪観音坐像:当寺の本尊で、厄除観音として信仰されている。高さ4.85mで、わが国最大の塑像。天平時代の作である。胎内からは金銅造如意輪観音半跏像が見つかっている。いずれも国指定の重要文化財。
*3 本堂:入母屋造唐破風付きの豪壮な建物で、1805(文化2)年の再建。1~3月は堂内で随時「やくよけ法要」が行われるため、一般の内陣参拝期間は4~12月となっている。
*4 古書院:墨書きの落書きから1644(寛永21)年頃の建立と見られている。国指定の重要文化財。非公開。
*5 開山堂:本堂に向かって左側に建つ妻入りの三間堂。多武峰妙楽寺(現・談山神社)から同寺の護摩堂だったものを1871(明治4)年に移築した建物で阿弥陀三尊を安置している。
*6 三重宝塔:鎌倉時代に書かれた「諸寺建立次第」には三重塔の存在が記されており、旧境内地(現治田神社)に建っていたとみられるが、1472(文明4)年7月の大風により倒壊した。1984(昭和59)年から復興に着手し、1986(昭和61)年に再建。1994(平成6)年からは塔内の壁画などの作成に着手し、2001(平成13)年に完成した。
*7 創建の縁起:平安後期の「東大寺要録」では、草壁皇子と一緒に養育された「宮」(岡宮)を「以宮賜義淵爲寺號龍蓋寺(義淵が賜り寺となし、龍蓋寺と号した)」としている。
*8 草壁皇子:682~689年。天武天皇の子。日並知(ひなめしの) 皇子とも。壬申の乱(672年)に際しては、大海人皇子(のちの天武天皇)に従った。壬申の乱で勝利した大海人皇子は即位し、草壁皇子は681(天武天皇10)年には皇太子となったものの、天武天皇没後、皇后である持統天皇が即位しないまま政務を執りしきる称制をとり、結局、草壁皇子は天皇に即位しないまま逝去した。
*9 義淵:生没年不詳。奈良時代、法相宗の僧。大和国高市郡の出身。俗姓は百済王の子孫市往(いちき)氏または阿刀(あと)氏。平安後期の「東大寺要録」や「今昔物語集」には出自が記されており、子供がいなかった両親が「其事ヲ歎キテ年来観音二祈リ申ス間ニ。夜ル聞ケバ後ノ方ニ兒ノ泣ク音有リ。是ヲ怪ムテ出デ見ルニ。柴ノ垣ノ上ニ白帖(幕)ニ被裹(つつみかぶれ)タル者有リ。取リ下シテ見レバ端正美麗ナル男子白帖ノ中ニアリ」(今昔物語集)として、両親は観音によって授かった子として育てたという。これを聞いた天智天皇は「日並知皇子」(草壁皇子)とともに宮(岡宮)に移し置き、養育したとしている。その子が義淵であり、703(大宝3)年には僧正となり、南都仏教の中心的存在となった。とくに興福寺系法相宗の開祖ともいわれ、行基、玄昉、良弁などが弟子だったとされる。龍蓋寺(岡寺)、龍門寺、龍福寺、龍泉寺、龍象寺の五箇龍寺の開山。岡寺に伝わる国宝の義淵僧正坐像は像高93cm、木心乾漆造。しわだらけの顔、あばら骨の浮き出た胸など写実的に表現されている。天平から貞観にかけて造像された。奈良国立博物館に寄託中。
*10 遺物:代表的なものは国指定重要文化財の天人文甎(てんにんもんせん)。膝をつき両手をあげた天人の美しい浮彫を施したほぼ40cm平方の甎(せん レンガ)で、白鳳末ごろのものといわれている。いずれかのお堂の須弥壇の腰にはめられていたものと推測されている。京都国立博物館に寄託されており、当寺では複製を見ることができる。
関連リンク | 岡寺(WEBサイト) |
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参考文献 |
岡寺(WEBサイト) 「大日本名所図会第1輯 第3編 大和名所図会」大正8年 273/375 国立国会図書館デジタルコレクション 「大和志料 下」奈良県教育会 大正3年 232/359 国立国会図書館デジタルコレクション 「諸寺建立次第」本文 23 東京国立博物館研究情報アーカイブズ 「東大寺要録」佛教大学図書館 6/34 |
2024年12月現在
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