大神神社おおみわじんじゃ

JR桜井線(万葉まほろば線)三輪駅のすぐ北側に参道があり、東へ約300mほどで二の鳥居*1がある。大神神社は祭神の大物主大神*2(おおものぬしのおおかみ)が三輪山*3(標高467m)に鎮まるために、古来、本殿を設けずに直接、山に祈りを捧げるという原初的な信仰形態を遺している神社で、延喜式内の大社のなかでもっとも古い神社の一つとされている。古くは大神大物主神社といい、また三輪明神ともいわれる。三輪山が御神体そのものであるため、拝殿*4の正面奥に鳥居(三ツ鳥居*5)を立て、山全体を祀る配置となっている。同社は酒の神*6としても崇められ、醸造業者からの献納が多く、また、末社の久延彦(くえひこ)社*7は智恵の神として知られ、合格祈願の参拝者も見られる。境内には宝物収蔵庫*8があり、社宝や遺跡の出土品を週末などに展示している。
 境内の西には、国道169号線沿い、参道の入口に1986(昭和61)年に竣功した高さ32.2mの大鳥居が立ち、二の鳥居から北へ100mのところには大物主神の子孫・大田田根子を祀る摂社大直禰子神社*9がある。また、神社北側は大美和の杜として整備され散策道が設けられ、展望台からは東に神体山である三輪山、西は奈良盆地から二上山や金剛葛城連山、生駒山が見渡せる。
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みどころ

山自体が御神体という、日本における神への信仰の原初的な形態がみられる神社だけに、境内はもちろん、三輪山全体が鬱蒼とした緑深い樹林に覆われ、それだけで神秘性を肌で感じることができる。拝殿で三ツ鳥居に向かい拝礼すれば、山全体の静けさがより一層心に迫るものがある。日本人の信仰のあり方を示す極めて重要な神社だ。参拝のあとには、門前で当地名産の三輪そうめんに舌鼓を打ち、酒の神様にあやかった酒も一献傾けたいもの。
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補足情報

*1 二の鳥居:現在の参道は国道169号線の大鳥居から東に向かい二の鳥居まで続くが、一の鳥居はこの参道にはなく、参道の南、旧三輪街道沿いの住宅地のなかにある。
*2 大物主大神:同社の成立に関する伝承は、「古事記」や「日本書紀」にも記述が見られる。「古事記」では、出雲の大国主神の前に現れた大物主神に対し、どうしたら国造りを成就させることができると問うと、 大物主神は「 『吾は倭(やまと)の青垣の東の山の上にいつき奉れ』とのりたまひき。此は三諸の山の上に坐す神なり。」と記している。「三諸」は神が鎮まる場所をさし、これが三輪山と考えられている。また、『日本書紀』では、大物主神は大国主神の別称だとし、大国主神自身の「幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)」であるとしている。そして、自問自答する形で、「古事記」同様に「吾は日本國(やまとのくに)三諸山に住まむと欲ふと。故れ即ち宮を彼處に營(つく)りて、就(ゆ)きて居(ま)しまさしむ。これが大三輪之神なり」とし、この伝承では大物主大神は大国主神の別の御魂として顕現し、三輪山に鎮座したことになっている。こうした伝承から、同社が大神「おおみわ」と訓(よ)まれるのは、祭神の「大物主神」が神の神として古くから崇められており、「神」と言えば「三輪の神」とされてきたことからともいわれている。
*3 三輪山:登拝口は拝殿の北側にある狭井(さい)神社にある。入山は単なる登山ではない。参拝を目的とした入山に限る。入山には狭井神社で受付が必要(午前9時~正午)で、諸注意事項も厳守のこと(入山初穂料有り)。年末年始、祭礼日のほか天候によって入山登拝禁止日もあるので、事前に確認をしておく必要がある。
*4 拝殿:桁行9間、梁行4間、桧皮葺、切妻平入の主棟と向拝があり、1664(寛文4)年に徳川家綱によって再建されたものである。
*5 三ツ鳥居:鳥居を横一列に三つ組み合わせたもので、中央の鳥居には扉がある独特の形式。「三輪鳥居」とも呼ばれる。
*6 酒の神:『日本書紀』の「崇神天皇八年」の条に、杜氏の始祖といわれる高橋邑(大和国添上郡)の活日が天皇に神酒を献じた時に「この神酒(みき)は 吾が神酒ならず、倭(やまと)なす、大物主の、醸(か)みし神酒 幾久幾久(いくひさいくひさ)」と歌ったのに対し、崇神天皇は「味酒(うまさけ)、三輪の殿の、朝戸にも、押開かね、三輪の殿戸を」と詠まれたということから、同社は酒造りの神としても敬われることとなったという。また、「万葉集」では「味酒(うまさけ)を三輪の祝(はふり)がいはふ杉手触れし罪か君にあひがたき」(三輪の社の神職たちが大事にお祭りしている神杉に、私は知らぬ間に手を触れた罰でしょ うか、いとしいあなたにお目にかかれませぬ)と詠まれ、すでに「味酒」が「三輪」にかかる枕詞として使われていた。その後も「酒」「三輪」「杉」を題材にして多くの歌が詠まれ、後に三輪山の杉葉の杉玉が酒造りの象徴として軒先に飾られるようになった。
*7 久延彦(くえひこ)社:久延彦は『古事記』で海上を寄り来る神の名がわからなかったとき、大国主神から問われ、他の神は答えられなかったが、唯一、「少彦名命」だと答えた神。そのため「久延毗古は、今には山田の曽冨騰(そほど=かかし)ぞ。此の神は、足は行かねども、尽(ことごと)く天の下の事を知れる神なり」と伝えられている。この伝承から智恵の神として信仰されてきた。
*8 宝物収蔵庫:三輪山麓の古代祭祀遺跡から見つかった考古遺物、国の重要文化財などの神宝類などを収蔵しており、三輪山信仰の特徴を知るうえで貴重なものを展示公開している。公開日は毎月1日と土曜・日曜・祝日。入館有料。
*9 大直禰子(おおたたねこ)神社:若宮社とも呼ばれる。明治時代初期の神仏分離によって廃寺となった大神神社の神宮寺大御輪寺(大神寺)があったところで、本殿は、大御輪寺の旧本堂(国指定重要文化財)を使用している。また、本尊であった十一面観音立像(天平期の作)は、これも神仏分離の際に移り、現在は聖林寺に安置されている。
関連リンク 大神神社(WEBサイト)
参考文献 大神神社(WEBサイト)
「奈良県の歴史散歩(上) 奈良県北部」山川出版社
中村啓信「新版 古事記 現代語訳付き 」角川ソフィア文庫
飯田弟治訳「新訳日本書紀」嵩山房 大正1年 55・91/353 国立国会図書館デジタルコレクション
小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)

2024年12月現在

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