正暦寺
近鉄奈良線奈良駅から南東へ約9km、JR桜井線(万葉まほろば線)帯解駅から東へ5km。高円山の南、菩提仙川を遡った沢沿いに堂宇が建つ。一条天皇の発願によって992(正暦3)年、藤原兼家の子・兼俊僧正が創建し、当初は堂塔伽藍86宇を数える大寺であったといい、北大和五山*1に数えられていた。1180(治承4)年、平重衡の南都焼き討ちの際に全山全焼したが、1218(建保6)年には、興福寺一乗院・大乗院住職信円によって、法相宗の学問所とされた。しかし、江戸時代に入ると寺勢*2は衰え、明治の廃仏毀釈により、さらに荒廃し、多くの堂宇を失った。現在は、広い境内に本堂・鐘楼*3・福寿院*4を遺すのみとなっている。境内にカエデが多く、秋は「錦の里」とも称されている。本尊は薬師如来倚像*5で特別公開時のみ開帳している。また、正暦寺では室町時代においては寺領経営の一環として「僧坊酒」の自家製造がなされ、醸造技術も高かったため、同寺の酒は「菩提泉」*6として知られていた。現在の清酒の原形だとも言われている。
みどころ
ここでのみどころは、何といっても3,000本を超えるというカエデ。まず、菩提仙川の渓流に沿う山道に、かつて豪壮な寺坊が並んでいたことを偲ばせる苔むした石垣が長々とつづき、その上にカエデなどが植えられている。参道を進むと右手の一段高い所に福寿院の客殿が見え、ここの座敷から見える庭園越しの新緑、紅葉もよい。さらに参道の石段が続き、高台に登った平たん部に本堂があり、本堂の裏手には鎮守影向石(ようごういし)が置かれ、さらに登ると瑠璃光台にたどり着く。ここからは本堂の大屋根越しに境内と周囲の山々を見渡せ、ここも紅葉のビューポイントとなる。本堂右手を少し下った龍神平からは、新緑、紅葉越しに福寿院が見え、清閑な山寺の雰囲気を醸し出す。紅葉の見ごろは11月中旬から下旬。仏像など寺宝については新緑や紅葉に合わせ公開日があるので、事前に確認しておいたほうが良い。
補足情報
*1 北大和五山:忍辱山圓成寺、菩提山正暦寺、鹿野園梵福寺、誓多林万福寺、大慈山薬師寺。現在は、圓成寺と正暦寺以外の3寺は廃寺。
*2 寺勢:江戸中期の「大和名所図会」をみると、「寺坊四十二坊あり」としており、境内図にも高台に本堂、鐘楼、三重塔などが描き込まれ、沢沿いにも寺坊のいくつかが描き込まれている。
*3 本堂・鐘楼:本堂は1916(大正5)年、鐘楼は1925(大正14)年の再建。
*4 福寿院:客殿は1681(延宝9)年の建築。上壇の間を持つ数寄屋風客殿建築で国指定重要文化財。院内には収蔵庫「瑠璃殿」がある。
*5 薬師如来倚像:国指定重要文化財。像高35.5cmの小さな金銅仏だが白鳳時代の特徴をよく備えている。台座に腰掛ける倚坐の姿も珍しい。毎年4月下旬~5月上旬に正暦寺の収蔵庫「瑠璃殿」にて公開。毎年11月初旬~12月初旬には本堂にて公開。毎年12月22日の冬至祭においても「瑠璃殿」にて公開。
*6 「菩提泉」:酒造史研究家加藤百一によれば「正暦寺の僧坊酒は、興福寺大乗院の有力財源の一つで、嘉吉年間(1441~1444)ころ都の貴紳の間で 『奈良酒』 と称し、高い評価を受けていた」という。室町中期、京都相国寺の鹿苑院蔭涼軒主の「蔭涼軒日録」(1485〔文明17〕年7月8日の項)のなかで、酒好きで有名な将軍足利義尚が「相公(義尚公)曰 酒有好悪。自興福寺進上之酒尤可也。可勸之命有之。」と、興福寺の酒(正暦寺の菩提山酒)を可としたと記録している。麹を造るための米(麹米)と仕込みに使う米(掛米)がともに精白米である「諸白(もろはく)」を使用し、近代の酒造技術として重要な酒母の仕込み工程の原形となる「菩提酛」を使って醸造していたという。
*2 寺勢:江戸中期の「大和名所図会」をみると、「寺坊四十二坊あり」としており、境内図にも高台に本堂、鐘楼、三重塔などが描き込まれ、沢沿いにも寺坊のいくつかが描き込まれている。
*3 本堂・鐘楼:本堂は1916(大正5)年、鐘楼は1925(大正14)年の再建。
*4 福寿院:客殿は1681(延宝9)年の建築。上壇の間を持つ数寄屋風客殿建築で国指定重要文化財。院内には収蔵庫「瑠璃殿」がある。
*5 薬師如来倚像:国指定重要文化財。像高35.5cmの小さな金銅仏だが白鳳時代の特徴をよく備えている。台座に腰掛ける倚坐の姿も珍しい。毎年4月下旬~5月上旬に正暦寺の収蔵庫「瑠璃殿」にて公開。毎年11月初旬~12月初旬には本堂にて公開。毎年12月22日の冬至祭においても「瑠璃殿」にて公開。
*6 「菩提泉」:酒造史研究家加藤百一によれば「正暦寺の僧坊酒は、興福寺大乗院の有力財源の一つで、嘉吉年間(1441~1444)ころ都の貴紳の間で 『奈良酒』 と称し、高い評価を受けていた」という。室町中期、京都相国寺の鹿苑院蔭涼軒主の「蔭涼軒日録」(1485〔文明17〕年7月8日の項)のなかで、酒好きで有名な将軍足利義尚が「相公(義尚公)曰 酒有好悪。自興福寺進上之酒尤可也。可勸之命有之。」と、興福寺の酒(正暦寺の菩提山酒)を可としたと記録している。麹を造るための米(麹米)と仕込みに使う米(掛米)がともに精白米である「諸白(もろはく)」を使用し、近代の酒造技術として重要な酒母の仕込み工程の原形となる「菩提酛」を使って醸造していたという。
2024年12月現在
※交通アクセスや料金等に関する情報は、関連リンクをご覧ください。