天理の街並みてんりのまちなみ

奈良盆地の東部にあり、1954(昭和29)年に丹波市町を中心に6カ町村が合併し、全国最初の宗教名を市名にした宗教都市である。市の中心をなす旧丹波市町は、京都・奈良から初瀬・伊賀・伊勢に至る街道沿いにあたり、かつては伊勢神宮参拝途中の旅篭町として栄えた。明治以降は天理教*1の本拠として知られ、現在、街には天理教教会本部神殿・教祖殿のほか、天理大学*2などの学校施設、信者詰所*3が建ち並ぶ。また、天理駅から教会本部までの本通りは約1kmのアーケードが続き、地元民のみならず、全国から集まる信者たちのためのショッピング街には約180店舗が軒を並べ、なかには天理教関係の神具店・装束店などもある。
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みどころ

天理教の本拠地。黒地に「天理教」と白く染め抜いた法被を着た人々が行き交い、いくつもの千鳥破風を置いた屋根と高欄が特徴的なビル群「おやさとやかた」や信者詰所が境内地を取り囲むように建ち並び、独特な都市景観をみせている。また、宗教施設である神殿、礼拝場、教祖殿、祖霊殿、それらを結ぶ回廊など豪壮な大屋根の和風建築の巨大さには目をみはるばかりである。
 天理市役所から天理教教会本部前を東西に通じる「親里大路」の約700mのイチョウ並木は、晩秋ともなると通り全体が黄金色に染まり美しく、とくに天理教教会本部と天理大学附属天理参考館をつなぐ歩道橋からは通りを見通すことができ、圧巻の眺め。
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補足情報

*1 天理教:1838(天保9)年、大和国山辺郡庄屋敷村(現・天理市三島町天理教教会本部所在地)で、農婦中山みきが神の啓示を受け、中山みきの口を通してその教えが説かれたことに始まると言われている。世界中の人達が仲良くたすけ合いながら暮らす「陽気ぐらし」世界の実現を目指している。信者数は海外も含め200万人を数えるという。
*2 天理大学:1925(大正14)年に創設された天理外国語学校を前身とする私立大学。その附属施設として、天理大学附属天理参考館がある。天理参考館は1930(昭和5)年、天理外国語学校に設けられた海外事情参考品室が活動のはじめで、世界の各地域に住む人々のそれぞれの生活や歴史を知り、お互いのこころを理解することを目的として設置されたもの。このため、世界各地の生活文化資料・考古美術資料などを収集・研究・展示している(入館有料)。
*3 信者詰所:「信者詰所」は教義の習得とその実践修行を目的とする施設であり宿泊設備もある「信者修行所」の呼称で、「郡山詰所」など、直属教会の名称をつけて呼ばれる。
関連リンク 天理市産業振興課 商工観光係(観光担当係)(WEBサイト)
参考文献 天理市産業振興課 商工観光係(観光担当係)(WEBサイト)
天理教(WEBサイト)
天理市観光ガイド(マップ) 天理市
天理参考館(WEBサイト)
角川日本史辞典 角川書店

2024年12月現在

※交通アクセスや料金等に関する情報は、関連リンクをご覧ください。

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