依水園・寧楽美術館いすいえん・ねいらくびじゅつかん

近鉄奈良線奈良駅から東へ約1km、東大寺南大門の西にある。依水園は1万3,481m2の敷地にかつては吉城川をひき入れ、若草山・春日山を借景とした庭園。前園と後園に分かれている。前園は、奈良晒*1を業とする清須美道清*2が延宝年間(1673~~1681年)に造園したもので、池泉回遊式の庭園内に三秀亭・挺秀軒・清秀庵などがある。東側の後園は明治時代の中ごろに実業家関藤次郎*3により造られた池泉回遊式庭園で、池の護岸石にはかつての東大寺西塔の礎石も使われており、氷心亭は新薬師寺の古材で作られている。寧楽美術館*4は、依水園の入口付近にある。明治から昭和初期にかけ海運業で財をなした中村家が3代(準策、準一、準佑)に渡って収集した2千数百点の中国青銅器、拓本、朝鮮の高麗青磁、書画などを収蔵、展示している。休館・休園日は火曜(休祝日の場合は翌日)と庭園整備期間 (12月末から1月中旬と9月下旬)。
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みどころ

まずは、入口近くにある寧楽美術館から楽しみたい。収蔵品は中国古代の青銅器からはじまり、高麗、朝鮮王朝の陶磁器、日本の茶道具など多岐にわたるが、春と秋のシーズンには国の重要文化財である田能村竹田「亦復一楽帖」(全十三図)が一図ずつ展示されるので、できれば、この特別公開に合わせ、訪れたいもの。美術品の鑑賞のあとは、池の中ほどに鶴亀をなぞった中島が築かれている江戸前期の作庭の前園と、若草山などを借景にした後園をゆったりと散策したい。三秀亭では昼食や抹茶を、氷心亭では抹茶を楽しむこともできる。
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補足情報

*1 奈良晒:奈良を中心に産出された高級麻織物。織り上がった生平(麻の手績み、手織りの布)を、数回晒して真白く晒し上げて仕上げられた。室町時代後期には既に苧麻を用いた麻織が生産されており、興福寺の学僧多聞院英俊の日記「多聞院日記」の1549(天文18)年5月2日の項にも「白帷布来了、マ(麻)ヲ一把半百六十五文、七十文ヲリチン(織り賃)、卅 (三十)文サラシチン(晒し賃)、合二百六十八文入了」と記されている。良質で白さが際立つ奈良晒は江戸時代には幕府御用達品だった。
*2 清須美道清:16世紀末に晒しの技術改良を行い、奈良を奈良晒しの特産地にした奈清須美源四郎の孫。江戸時代に入り奈良晒は隆盛を誇り、江戸幕府御用商人であった。晒し場のあった水量豊かな吉城川から水を引き、現在の「依水園」の前園を作庭した。
*3 関藤次郎:1864~1931年。麻織物・呉服を扱う商家に生れ、六十八銀行(現・南都銀行)の頭取などを歴任した実業家。
*4 寧楽美術館:中村準策が1939(昭和14)年に関家から依水園を購入。1940(昭和15)年に財団法人寧楽美術館を設立し、美術品の収集収蔵を行っていたが、戦災で多くの収集品を失った。戦後、依水園も米軍に接収されたが、1953(昭和28)年に返還され、1958(昭和33)年から庭園部分を公開。1969(昭和44)年には美術館が東畑謙三の設計により竣工し、翌年から常設展示を開始した。現在は公益財団法人名勝依水園・寧楽美術館として運営されている。