法華寺
近鉄奈良線新大宮駅から北西へ約1.3km、東大寺転害門から西へたどる佐保路(平城京の一条南大路)の突き当たりにある尼寺。天平時代に光明皇后*1が藤原不比等*2の邸宅を喜捨して寺を建て、総国分尼寺となり、法華滅罪之寺*3と称した。七堂伽藍を備えた大寺であったと推定されるが、平安遷都後は衰え、鎌倉時代に西大寺の僧叡尊が再興したが、室町時代にさらに衰え、現在の諸堂は豊臣秀頼とその母淀殿の寄進による。大和三門跡*4の一つで氷室御所とも呼ばれた。筋塀に囲まれた境内に、本堂*5・鐘楼・浴室*6・横笛堂*7などが建ち、本堂西側の江戸時代初期に作庭された回遊式庭園*8は、国の名勝に指定され、本堂の東、浴室東側には四季の花々が植えられた華楽園*9が設けられている。本堂には国宝の十一面観音立像*10と維摩居士坐像*11が安置され、慈光殿では国宝の阿弥陀三尊および童子像3幅* 12が秋の特別公開時に拝観できる。
みどころ
法華寺は、平城宮跡の東側、佐保路の西の突き当たりにある住宅地のなかにある。境内に入るとすっきりとした清潔感溢れる雰囲気に包まれる。本堂をはじめ諸堂は簡素だが、柔らかな感じを受ける。本堂の右手に進むと浴室が、これも機能美とさえ言えるシンプルな姿で建つ。哲学者の和辻哲郎は「浴室は本堂の東方に当たる庭園のなかにあって、三間四方(?)ぐらいの小さなものであるが、内部の構造は全然わたくしの予期しないものであった」と蒸し風呂形式だったことに驚いている。
浴室に隣接する庭は、四季折々の花が咲き競い、ちょっとした花めぐりの散策が楽しめる。
しかし、この寺の最大のみどころは、本堂の仏像と回遊式庭園。本尊の十一面観音について和辻哲郎は「二尺何寸かのあまり大きくない木彫である。幽かな燈明に照らされた暗い廚子のなかをおずおずとのぞき込むと、香の煙で黒くすすけた像の中から、まずその光った眼と朱の唇とがわれわれに飛びついて来る。豊艶な顔ではあるが、何となく物すごい。この最初の印象のためか、この観音は何となく『秘密』 めいた雰囲気に包まれているように感ぜられた…中略…天平の観音のいずれにも見られないような一種隠微な蠱惑力を印象するのである」と、本尊の豊満で肉感的な独特の魅力を率直に表現している。 回遊式庭園は面積約1.650m2、江戸時代初期の作庭で、京都仙洞御所の庭園から石や庭木などが移されたという。
本堂の仏像や回遊式庭園については公開の期間が限られているものもあるので、事前に状況を確認してから訪ねたい。
浴室に隣接する庭は、四季折々の花が咲き競い、ちょっとした花めぐりの散策が楽しめる。
しかし、この寺の最大のみどころは、本堂の仏像と回遊式庭園。本尊の十一面観音について和辻哲郎は「二尺何寸かのあまり大きくない木彫である。幽かな燈明に照らされた暗い廚子のなかをおずおずとのぞき込むと、香の煙で黒くすすけた像の中から、まずその光った眼と朱の唇とがわれわれに飛びついて来る。豊艶な顔ではあるが、何となく物すごい。この最初の印象のためか、この観音は何となく『秘密』 めいた雰囲気に包まれているように感ぜられた…中略…天平の観音のいずれにも見られないような一種隠微な蠱惑力を印象するのである」と、本尊の豊満で肉感的な独特の魅力を率直に表現している。 回遊式庭園は面積約1.650m2、江戸時代初期の作庭で、京都仙洞御所の庭園から石や庭木などが移されたという。
本堂の仏像や回遊式庭園については公開の期間が限られているものもあるので、事前に状況を確認してから訪ねたい。
補足情報
*1 光明皇后:701~760年。聖武天皇の皇后。藤原不比等の娘。名は光明子、安宿媛。仏教思想に基づき興福寺内に困窮した病人への施薬施療や飢餓者に給食を行う施薬院を設けたことで知られる。
*2 藤原不比等:659~720年。奈良初期の公卿、右大臣。大宝律令の撰修に参画し、養老律令を整え、律令制度の整備、実施に尽力した。また、娘の光明子を臣下からの初めての皇后にするなど皇室との関係を深め、藤原氏隆盛の基礎を築いた。
*3 法華滅罪之寺:741(天平13)年に、聖武天皇は仏教による国家鎮護を発願し、全国の国府毎に国分寺と国分尼寺の造立を命じ、770年代までにはほぼ建立されという。正式には、僧寺は金光明四天王護国之寺、尼寺は法華滅罪之寺と称された。大和国の東大寺と法華寺がそれぞれの総本山とされた。
*4 大和三門跡:中宮寺(斑鳩御所)、圓照寺(山村御所)、法華寺(氷室御所)。門跡とは、皇族、貴族などが代々入寺し、住んでいる寺格の高い寺院を指す。
*5 本堂:正面7間、側面4間、単層、寄棟造、本瓦葺。1601(慶長6)年豊臣氏が片桐且元を奉行に再興した建物で堂内須弥壇や縁側の擬宝珠にその建立の刻銘がある。一部に鎌倉期の古材を用いて、様式も鎌倉風の建築。
*6 浴室:からぶろ。本堂の東にある。古くから僧侶が沐浴潔斎する為に使用されるものとして寺院に設けられていたが、光明皇后の千人の垢を流すという誓願に由来し、庶民にも開放していたという。現在の建物は1766(明和3)年に再建されたもの。内部には竈や風呂屋形があり、薬草を用いて蒸し風呂を焚く形式の浴室。国指定の重要有形民俗文化財。
*7 横笛堂:東門を入った所にある小堂。「平家物語」などで知られる建礼門院の雑司横笛が滝口入道との恋にやぶれて住んだ所と伝える。平家物語では恋にやぶれて尼になってもうらまないと、「横笛は、その思ひの積(つもり)にや奈良の法華寺に有けるが、幾程もなくて、遂にはかなく成にけり」と、法華寺に入寺して間もなくなくなっという。横笛像は本堂内の本尊十一面観音の横手に安置されている小さな紙子像で・横笛が書きつらねた反古(ほご)で作った自像と伝えられる。
*8 回遊式庭園:国指定名勝。法華寺庭園は、鱗敷の敷石道にマツ・マキの規則的な植栽が列を造る前庭、露地風に仕上げた内庭、池を中心に枯山水風の滝の石組と水流を表す砂利敷かれた築山のある主庭の3つの区分からなる庭園空間は、それぞれ個性を持ち、尼門跡の格式を感じさせる。江戸時代前期の特徴を良く表している作庭だと言われている。4月上旬~6月上旬、6月5日~6月10日に公開。
*9 華楽園:本堂などの拝観とは別に華楽園のみの入園も可能。
*10 十一面観音立像:国宝。本堂内、須弥壇上の厨子内の本尊。像高1m、桧材を用いた檀像風(木目の細かい白檀のような)の一木彫で、頭髪に群青、眉に墨、唇に朱を施すだけの素木像である。天竺ガンダーラの問答師が光明皇后をモデルに刻んだという伝説があるが、造像は貞観時代。翻波式の衣文、表情や姿態の妖しいまでに肉感的な表現は天平彫刻の特色から抜け出て、強烈な個性を感じさせる。わが国の上代彫刻中の神品といわれる傑作だが、秘仏。十一面観音立像の拝観は毎年3月下旬~4月上旬・6月上旬・10月下旬~11月上旬。通常は分身像を拝観可。
*11 維摩居士坐像:国宝。維摩居士(ゆいまこじ)は古代インドの裕福な商人といわれ、その存在の虚実は不明。本体は木造、衣の一部が乾漆造で、東大寺の良弁僧正坐像、唐招提寺の鑑真和上坐像などと並び称される、奈良時代の肖像彫刻の傑作。本堂にて通年拝観可。
*12 絹本着色阿弥陀三尊および童子像3幅:国宝。光明皇后の臨終の際の枕仏として描かれた来迎図と伝わる。平安時代の典型的な浄土図のひとつとされる。公開は慈光殿で10月下旬~11月上旬。
*2 藤原不比等:659~720年。奈良初期の公卿、右大臣。大宝律令の撰修に参画し、養老律令を整え、律令制度の整備、実施に尽力した。また、娘の光明子を臣下からの初めての皇后にするなど皇室との関係を深め、藤原氏隆盛の基礎を築いた。
*3 法華滅罪之寺:741(天平13)年に、聖武天皇は仏教による国家鎮護を発願し、全国の国府毎に国分寺と国分尼寺の造立を命じ、770年代までにはほぼ建立されという。正式には、僧寺は金光明四天王護国之寺、尼寺は法華滅罪之寺と称された。大和国の東大寺と法華寺がそれぞれの総本山とされた。
*4 大和三門跡:中宮寺(斑鳩御所)、圓照寺(山村御所)、法華寺(氷室御所)。門跡とは、皇族、貴族などが代々入寺し、住んでいる寺格の高い寺院を指す。
*5 本堂:正面7間、側面4間、単層、寄棟造、本瓦葺。1601(慶長6)年豊臣氏が片桐且元を奉行に再興した建物で堂内須弥壇や縁側の擬宝珠にその建立の刻銘がある。一部に鎌倉期の古材を用いて、様式も鎌倉風の建築。
*6 浴室:からぶろ。本堂の東にある。古くから僧侶が沐浴潔斎する為に使用されるものとして寺院に設けられていたが、光明皇后の千人の垢を流すという誓願に由来し、庶民にも開放していたという。現在の建物は1766(明和3)年に再建されたもの。内部には竈や風呂屋形があり、薬草を用いて蒸し風呂を焚く形式の浴室。国指定の重要有形民俗文化財。
*7 横笛堂:東門を入った所にある小堂。「平家物語」などで知られる建礼門院の雑司横笛が滝口入道との恋にやぶれて住んだ所と伝える。平家物語では恋にやぶれて尼になってもうらまないと、「横笛は、その思ひの積(つもり)にや奈良の法華寺に有けるが、幾程もなくて、遂にはかなく成にけり」と、法華寺に入寺して間もなくなくなっという。横笛像は本堂内の本尊十一面観音の横手に安置されている小さな紙子像で・横笛が書きつらねた反古(ほご)で作った自像と伝えられる。
*8 回遊式庭園:国指定名勝。法華寺庭園は、鱗敷の敷石道にマツ・マキの規則的な植栽が列を造る前庭、露地風に仕上げた内庭、池を中心に枯山水風の滝の石組と水流を表す砂利敷かれた築山のある主庭の3つの区分からなる庭園空間は、それぞれ個性を持ち、尼門跡の格式を感じさせる。江戸時代前期の特徴を良く表している作庭だと言われている。4月上旬~6月上旬、6月5日~6月10日に公開。
*9 華楽園:本堂などの拝観とは別に華楽園のみの入園も可能。
*10 十一面観音立像:国宝。本堂内、須弥壇上の厨子内の本尊。像高1m、桧材を用いた檀像風(木目の細かい白檀のような)の一木彫で、頭髪に群青、眉に墨、唇に朱を施すだけの素木像である。天竺ガンダーラの問答師が光明皇后をモデルに刻んだという伝説があるが、造像は貞観時代。翻波式の衣文、表情や姿態の妖しいまでに肉感的な表現は天平彫刻の特色から抜け出て、強烈な個性を感じさせる。わが国の上代彫刻中の神品といわれる傑作だが、秘仏。十一面観音立像の拝観は毎年3月下旬~4月上旬・6月上旬・10月下旬~11月上旬。通常は分身像を拝観可。
*11 維摩居士坐像:国宝。維摩居士(ゆいまこじ)は古代インドの裕福な商人といわれ、その存在の虚実は不明。本体は木造、衣の一部が乾漆造で、東大寺の良弁僧正坐像、唐招提寺の鑑真和上坐像などと並び称される、奈良時代の肖像彫刻の傑作。本堂にて通年拝観可。
*12 絹本着色阿弥陀三尊および童子像3幅:国宝。光明皇后の臨終の際の枕仏として描かれた来迎図と伝わる。平安時代の典型的な浄土図のひとつとされる。公開は慈光殿で10月下旬~11月上旬。
関連リンク | 法華寺(WEBサイト) |
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参考文献 |
法華寺(WEBサイト) 和辻哲郎「古寺巡礼」 Kindle 版 角川日本史辞典 角川書店 国指定文化財等データベース 文化庁(WEBサイト) 「なら旅ネット」奈良県ビジターズビューロー(WEBサイト) |
2024年12月現在
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