宇太水分神社うだのみくまりじんじゃ

近鉄大阪線榛原駅から南へ約7.5km、芳野川(ほうのがわ)の河畔から参道がつづき、緑豊かな社叢に包まれるように建つのが宇太水分神社。延喜式の式内社の大和四水分社*1の一つとされ、水源を象徴し、水を分配する水神・天之水分神と、速秋津彦命、国之水分神の3柱を祀っている。創建は不詳だが、崇神天皇の勅命によって祀られたとも言い伝えられている。本殿*2は拝殿より一段高い所に3棟が横一直線に等間隔に並び、さらに右手に、少し小ぶりの摂社春日神社*3と宗像神社*4の2棟が続く。本殿は1320(元応2)年の造営とされ国宝に指定されている。春日神社は、室町時代にこの地が春日大社や興福寺の荘園であったことから勧請されたという。
 例年10月の第3日曜日に行われる例大祭では、芳野川の上流にある惣社水分神社の速秋津姫命(女神)が宇太水分神社の速秋津彦命(男神)に年に1度会うため、江戸時代の大名行列に扮した氏子に供奉され、片道6kmの道程を神輿で渡御する。
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みどころ

芳野川河畔から一の鳥居をくぐって、鄙びた家並みを抜けると二の鳥居。こんもりとした社叢に囲まれた広い境内に、新しい拝殿があり、その背後の高台に瑞垣に囲まれ、朱塗りが美しい春日造の本殿が3棟並び、装飾性の高い造りに目を奪われる。右手にはこぢんまりとした春日神社と宗像神社が鎮座する。こちらも小さいながらも白壁に朱が良く映える。
 奈良盆地の東の水の守り神たちが鎮座するのに相応しい風格がある。社務所に申し出れば、高台の瑞垣の中に入ることができ、本殿や摂社を拝観することもできる(有料)。
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補足情報

*1 大和四水分社:古事記に記されている天から与えられた水を差配する天之水分神、地上の水を分配する国之水分神などを祀る神社で、延喜式には、吉野郡の「吉野水分神社」、宇陀郡の「宇太水分神社」、山辺郡の「都祁水分神社」、葛上郡の「葛木水分神社」の4社が奈良盆地を四方から囲むように鎮座している。宇太水分神社は東にあたる。なお、この地区には芳野川の上流にある「惣社水分神社」、ここで取り上げている「宇太水分神社」と、下流の榛原下井足(はいばらしもいだに)の「宇太水分神社」の3社があるが、延喜式の式内社がどれにあたるかは不分明である。なお、一般的には 上流から「上宮・中宮・下宮」としたり、「惣社・上宮・下宮」とも称している。また明治末期の「明治神社誌料 府県郷社」では、「宇太水分神社」は「うたのみくまりじんじゃ」と呼び、下井足の宮を「宇陀水分神社(うだみくまりじんじゃ)」として、区別している。
*2 本殿:祭神は3座、本殿も3棟であって、向かって右から天之水分神(第1殿)、速秋津彦命(第2殿)、国之水分神(第3殿)。本殿はいずれも一間社隅木(屋根を支える部材のひとつ)入り春日造、桧皮葺き。正面、側面に蟇股が入っており、全体に塗装、彩色を施すなどして装飾性が高い。第1殿と第3殿は1320(元応2)年の建築で、第2殿は1558(永禄元)年に新造に近い大修理が行われている。国宝。
*3 春日神社:室町中期の造営で、本殿同様に一間社隅木入り春日造、檜皮葺き。国指定重要文化財。
*4 宗像神社:室町後期の造営で一間社流造、檜皮葺き。国指定重要文化財。

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