榮山寺えいさんじ

JR和歌山線五条駅から東へ約2km、西流する吉野川のほとりの緑のなかにあり、境内には山門、室町時代に再建され重要文化財の薬師如来坐像*1が祀られている本堂(薬師堂)、その右手奥には国宝の八角円堂が建ち、コンクリート製の鐘楼には平安初期に造られた国宝の梵鐘*2が吊るされている。同寺の創建*3は719(養老3)年、藤原武智麻呂*4によると伝えられている。八角円堂は、奈良(天平)時代の建立で、藤原仲麻呂*5が父武智麻呂の菩提を弔うために建てたとされる。単層、本瓦葺きで柱は八角柱で四方に板扉を開き、ほかは連子窓になっている。内部は土間で須弥壇を設け、天蓋・内陣の柱には彩画の跡が残されている。南北朝時代には長慶天皇の行宮ともなった所である。屋根は1911(明治44)年の解体修理に草葺きであったものを瓦葺きに推定復元している。
 榮山寺の寺号は、古くは前山(さきやま)寺あるいは崎山寺と呼ばれ、その後「榮」の字が当てられたといわれている。これは吉野川が榮山寺前では、ごつごつした岩が川瀬に張り出した「崎」の地形*6になっていたことから名付けられたという。
#

みどころ

こんもりとした緑に囲まれた境内は野趣豊かである。そのなかに、おおらかな天平建築らしい八角円堂が建つ。内陣の柱や天蓋には壁画が施されているなど天平文化の色が濃く、おおらかな造りが見るものに天平文化の豊かさを感じさせる。本堂(薬師堂)や七重石塔も大和の中心から離れた鄙びた雰囲気が良い。境内は吉野川の清流に沿うように続くが、川との間には県道五條吉野線が走り、道路からも薬師堂や八角円堂を覗き見ることができるが、やはり、五條寄りの入口から境内に入り、梵鐘、石塔、薬師堂をみて、境内奥の八角円堂をじっくり見て回りたいもの。なお、駐車場は入口近くと山門前にあり、他にも吉野寄りの隣地にある榮山寺緑地公園の駐車場を利用するのも良い。
#

補足情報

*1 薬師如来坐像:本堂(薬師堂)の本尊で、高さ109cm、両手を禅定印(ぜんじょういん)にして薬壷をもつ珍しい形である。細かく材を寄せた造りや形式的に整った衣文などに室町時代の特色がある。
*2 梵鐘:高さ157.4cm、口径89cmで銅製、平安時代初期のもので、平安期に能筆で知られ、「三蹟」と称された小野道風の筆と伝える銘文がある。鐘身は均整がとれていて、風格が感じられる。銘文には917(延喜17)年、山城道澄寺の鐘として作られたことが記されている。
*3 創建:創建後、同寺には盛衰の歴史があり、1913(大正2)年発行の「大和史料」によれば「貞観八(866)年ニ至リ稍稍衰微シ鴻鐘塔露盤ノ具賊ノ盗ム所トナリ、堂塔僧坊破損セシヲ延喜中(901~923年)住僧神鏡コレヲ修造ス、後チ又荒壊シ寛治五(1091)年コレヲ修治シ、舊観ニ復セリ」という記録が遺されているという。
*4 藤原武智麻呂:680~737年。左大臣で、藤原南家の祖。藤原氏繁栄の基礎を築いた不比等の長男。
*5 藤原仲麻呂:706~764年。大師(太政大臣と同格の職名)。叔母、光明皇后や孝謙天皇のもと、橘諸兄などと勢力争いを繰り広げ、朝廷の実権を握ることとなった。東大寺の造営などに尽力したことで知られる。しかし、孝謙上皇が寵愛した道鏡を取り除くため反乱を起こしたものの、逆に捕らえられ斬罪処分となった。
*6 「崎」の地形:榮山寺前の川瀬には美しい淀みができ、ちょうど瀬音が消えることから、榮山寺前の吉野川は「音無川」とも呼ばれており、水の色が深みのある瑠璃色をしており、古くから景勝地として知られていた。また、弘法大師が榮山寺で修行をしていた際、余りに川の音がうるさく、修行の妨げになったので、経を唱えて静めた、あるいは筆を投げ静めたという弘法大師の法力を伝える説話にもなっている。
関連リンク 榮山寺(WEBサイト)
参考文献 榮山寺(WEBサイト)
五條市(WEBサイト)
「奈良県の歴史散歩(下)奈良南部」山川出版社
奈良県観光公式サイト「なら旅ネット」(WEBサイト)
奈良県「県民だより奈良 平成31年3月号 奈良のむかしばなし」(WEBサイト)

2024年12月現在

※交通アクセスや料金等に関する情報は、関連リンクをご覧ください。