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タイプ「城跡・城郭・宮殿」

金山城の写真

金山城 ( 群馬県 太田市 )

太田駅の北2.5kmにあり、1469(文明元)年に新田一族の岩松家純(いわまついえずみ)*が築城した山城である。国指定史跡。石垣を多用し、山上に軍用貯水池の日ノ池・月ノ池をもつなど難攻不落といわれ、上杉謙信、武田勝頼などの10数回に及ぶ攻撃にも落城しなかった。関東では代表的な山城の一つとされる。岩松氏を下剋上で退けた、横瀬氏改...

鉢形城跡の写真

鉢形城跡 ( 埼玉県 寄居町 )

鉢形城は、荒川の断崖と深沢川の渓谷に囲まれた自然の要害の地に建てられた。戦国時代を代表する平山城であり、関東屈指の名城であった。築城には諸説あるが、1476(文明8)年に長尾景春が築いたとする説が有力。北条氏邦のときに現在の規模まで拡大された。しかし豊臣秀吉の天下統一が進み、1590(天正18)年、前田利家、上杉景勝らの大軍の...

小田原城の写真

写真提供:小田原城総合管理事務所

小田原城 ( 神奈川県 小田原市 )

小田原城は、小田原駅の西南、相模湾に向かって延びた箱根外輪山麓の台地上にある。  1416(応永23)年、土肥氏に代わった大森氏の治世を経て、1500年頃に小田原北条氏の初代 早雲が小田原城へと進出した後、五代約100年に渡り関東一円を支配した。1590(天正18)年の豊臣秀吉の小田原攻めにより北条氏が五代で滅んだ後は、家康の家臣の大...

石垣山城の写真

写真提供:小田原城総合管理事務所

石垣山城 ( 神奈川県 小田原市 )

一夜城は伝説の話。実際は1590(天正18)年、豊臣秀吉が水陸15~16万の大軍を率いて小田原北条氏を包囲し、その本営としてこの地に、関東初の総石垣の城を築いた。建設には約4万人が動員され、82日間を費やした。石積みは近江の穴太衆(あのうしゅう)による野面積(のづらつみ)で、長期戦に備えた本格的な城構えであった。公園面積は約5.8h...

小倉城の写真

小倉城 ( 福岡県 北九州市 )

JR小倉駅の南西約1,000mにある。関ヶ原の戦いののちに入国した細川忠興が1602(慶長7)年に以前の城の大改築を始めたもので、最盛時は148基もの櫓が立ち並んだ大城郭であったという。細川氏が肥後へ転封後は1632(寛永9)年に播磨明石より小笠原忠真が入り、以後、小笠原氏が10代235年間にわたって九州の要としての重責を果した。  当初の...

福岡城の写真

写真提供:福岡市

福岡城 ( 福岡県 福岡市 )

関ケ原の戦の功により、筑前52万3,000石を拝領した黒田長政が1601(慶長6)年から7年間かけて建立した城。壮大な平山城で、堀を含めた総面積110万m2、東西1km、南北700mの全国でも有数の規模である。現在残っているのは、天守台・多聞櫓・(伝)潮見櫓・下之橋御門・旧母里太兵衛邸長屋門・名島門など。城跡は舞鶴公園として公開...

大野城跡の写真

大野城跡 ( 福岡県 大野城市 / 福岡県 宇美町 / 福岡県 太宰府市 )

大野城市、宇美町、太宰府市にまたがる四王寺山(大城山)一帯に残る古代の山城跡。  百済軍に加勢し唐・新羅軍と戦うために朝鮮半島に出兵した大和朝廷は、663(天智天皇2)年、白村江の戦いに敗戦。唐・新羅軍の侵攻の脅威を受け、まずは664(天智天皇3)年、筑紫国に水城を築く。さらに665(天智天皇4)年、大宰府政庁を防衛するために...

名護屋城の写真

写真提供:肥前名護屋城歴史ツーリズム協議会

名護屋城 ( 佐賀県 唐津市 )

名護屋城は豊臣秀吉が朝鮮出兵(文禄・慶長の役)に際して拠点とした城で、全国の諸大名が普請し1591(天正19)年10月からわずか6カ月で築城したと伝わる。唐津市の北西、小高い丘陵にあり、玄界灘を望む。名護屋城の周囲約3km以内に、全国各地から集まった名だたる戦国大名の陣屋が130以上も立ち、多いときには20万人以上の人口がいたという...

唐津城の写真

唐津城 ( 佐賀県 唐津市 )

唐津藩主・寺沢広高が名護屋城の解体資材を用いて、1608(慶長13)年に完成した城。別名「舞鶴城」。代々譜代大名が入城したが、廃藩置県後は廃城となり、舞鶴公園となる。1966(昭和41)年、虹の松原を見下す小高い城跡に5層5階地下1階の天守閣が建てられ、唐津のシンボルとなっている。天守閣からは唐津湾の眺望がよく、公園内は桜・藤の名...

岡城跡の写真

岡城跡 ( 大分県 竹田市 )

瀧廉太郎*の名曲「荒城の月」を生んだ岡城跡は、JR豊後竹田駅の東方にある。1185(文治元)年、緒方三郎惟栄(これよし)が、稲葉川と白滝川が合流する天然の高台に築城した。のち1594(文禄3)年、中川秀成(ひでしげ)が入城し、明治まで中川氏13代の居城となった。城郭は中川氏によるもので、本丸、二の丸、三の丸、西の丸などから成る。現...

臼杵城跡の写真

臼杵城跡 ( 大分県 臼杵市 )

1562(永禄5)年から翌年にかけて大友宗麟*によって築かれたという説が有力である。この城が臼杵湾に浮かぶ丹生島に築城されたことから別名・丹生島城、また、島の形が亀の姿に似ていたことから、亀城とも呼ばれていた。宗麟の築城以降、江戸時代に稲葉氏が入国するまでの間に、島の東端部に本丸が、その西側には空堀をはさんで二の丸が築か...

飫肥城の写真

飫肥城 ( 宮崎県 日南市 )

酒谷川(さかたにがわ)と山川に臨む丘の上にある。約600年前までには築城されていたと考えられ、この間28年に渡る島津豊州家と伊東義祐*の攻防戦が演じられた。1588(天正16)年、伊藤祐兵(いとうすけたけ)が入城し、5万1千石の飫肥藩の居城として1871(明治4)年の廃藩置県に至った。  難攻不落の名城として知られた飫肥城だが、石垣...

中城城跡の写真

写真提供:中城城跡共同管理協議会

中城城跡 ( 沖縄県 北中城村 )

北側は急斜面、南側は断崖となっている台地上に広がる、6つの郭からなる連郭式の雄大な城跡。総面積は1万4,473m2に及ぶ。正確な築城年は不明だが、14世紀中ごろには造営が始まったと考えられている。現在の入り口から進んで一番奥にあるのが正門で、そこから一の郭、二の郭、三の郭と、南、西、北の郭が連なっている。もっとも高...

首里城の写真

首里城 ( 沖縄県 那覇市 )

1429(正長2・永享元)年から約450年にわたって存在した琉球王国。そのシンボルであった首里城は王国時代、王とその家族が住むエリア、王国の政治や外交をつかさどる行政空間、王国が組織した神女たちによる祈りの空間の、大きく3つのエリアからなっていた。  城は沖縄戦で大破したが、1992(平成4)年に復元整備されて公開が始まった。そ...

座喜味城跡の写真

座喜味城跡 ( 沖縄県 読谷村 )

標高約120mの丘陵地、読谷村のほぼ中央高台にある。15世紀初頭(1420年ごろ)、読谷山按司の護佐丸が築城したといわれる。面積約1万m2で、2つの郭からなり、一の郭には殿舎が建てられていた。この城は要塞としての機能を重視して造られており、郭を取り囲む城壁はいくつもの曲線が組み合わされるような構造。石垣の幅は、厚いとこ...

今帰仁城の写真

写真提供:今帰仁村教育委員会

今帰仁城 ( 沖縄県 今帰仁村 )

今帰仁城は、南は谷を隔てて背後のクバの御嶽に連なり、東と北は40~100mの断崖下に志慶真川が流れる要害の地にある山城。琉球が尚氏によって統一される以前、北山・中山・南山の3つの勢力に分かれていた三山時代に、本島北部一帯から与論島、沖永良部島あたりまでを勢力下におさめた北山王の居城で、築城は13世紀末といわれている。  約7....

勝連城跡の写真

勝連城跡 ( 沖縄県 うるま市 )

勝連半島の付け根に位置する丘陵上に築かれた城跡。正確な築城年は定かではないが、13世紀前後に造られたと考えられている。自然の地形を利用して石灰岩の石垣をめぐらせた5つの曲輪からなり、北西の最高部から一の曲輪、二の曲輪、三の曲輪、四の曲輪へと階段状に低くなり、再び南東側の東の曲輪で高くなっている。  歴代の勝連按司(あじ...