安土城あづちじょう

JR東海道線安土駅の北東約1.5kmの安土山(標高199m)に織田信長が築いた平山城。
 1575(天正3)年に、「長篠・設楽原の戦い」で信長・徳川家康連合軍の鉄砲隊が武田勝頼軍を潰滅した後、信長が天下統一に向けて、翌1576年に築城を命じ、1579(天正7)年に完成した。現在は、その後の干拓により四方とも陸地だが、当時は琵琶湖の内湖(伊庭内湖・常楽湖)に囲まれ、南方のみが開けた地形だった。
 山の南側に堀を設け、最高所に天主、山内各所に武将の陣屋を置き、一峰に摠見寺(そうけんじ)を建立した。外観5層内部7階(地上6階、地下1階、高さ50m超)の天守閣(天主閣)は、最上階の外壁に金箔10万枚を使用して金色に輝き、その下階は朱塗りの八角堂であったとされ、狩野永徳の襖絵や金碧極彩色で仕上げた部屋は、異国の文物で飾られたといわれる。
 1582(天正10)年に信長が自刃した「本能寺の変」後に焼失し、現在は、大手町の石段や巨石を使った野面(のづら)積み*の石垣、天主跡と本丸跡には礎石、また二の丸跡には豊臣秀吉が建立した織田信長廟が残る。
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みどころ

信長は清州城、小牧山城、岐阜城と拠点を移しながら勢力を拡大してきた。そして天下統一に向けて、京に近い安土を本拠地とした。瓦葺で高層の天守(天主)を中心に石垣で囲まれた近代城郭はこの城が始まりとされ、築城当時の最高の技術と芸術の粋を集大成して造られたといわれる。それまでの戦闘を目的とした砦のような施設ではなく、政治支配「天下布武」の象徴として、『見せる』要素が強い城郭であった。経済政策も革新的で、城下を楽市・楽座として誰でも自由に商売ができるようにし、関所を撤廃して流通を促進した。
 現在、付近には、スペイン・セルビア万博(1992年)に出展された安土城天主5・6階部分の原寸復元が展示され、VR安土城シアターもある「信長の館」、「滋賀県立安土城考古博物館」、JR安土駅南口には、天主が細部まで忠実に精巧に復元された1/20の大きさの安土城を展示する「安土城郭資料館」がある。ぜひ、安土城址の見学前に訪れて、城のイメージと知識を深めていきたい。
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補足情報

*野面積み:石をほとんど加工しないで積む手法で、初期の石積み方法。その後は、石をある程度加工して積む「打込接(うちこみはぎ)」、石を整形して隙間なく積む「切込接(きりこみはぎ)」と技法が発達した。
関連リンク 織田信長の安土城址と摠見寺(一般社団法人安土山保勝会)(WEBサイト)
参考文献 織田信長の安土城址と摠見寺(一般社団法人安土山保勝会)(WEBサイト)
滋賀・びわ湖 観光情報(公益社団法人びわこビジターズビューロー)(WEBサイト)
「特別史跡安土城跡パンフレット」
冊子 近江を制する者は天下を制する ふる里滋賀県人会

2025年04月現在

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