徳島城跡とくしまじょうあと

JR徳島駅から徒歩10分足らずの場所にある徳島藩主蜂須賀氏の居城があったところで、徳島中央公園として市民に親しまれている。戦国時代、豊臣秀吉の四国攻めで戦功を上げた蜂須賀正勝の子、家政が入封。1585年(天正13)に築城を開始し、1586(天正14)年、長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)や小早川隆景(こばやかわたかかげ)などの助力を得て完成した。徳島城は、本丸と東・西二の丸、西三の丸の置かれた城山と、その麓の御殿、西側の西の丸から構成された平山城である。大小河川が乱流する中州に立地し、東側だけ人工の堀を掘り、北は助任川、南は寺島川という自然の川を外堀に利用した。石垣は徳島産の青石(緑色片岩)を多用している。
 1875(明治8)年に徳島城は解体され、大手筋の門である鷲の門と旧徳島城表御殿庭園*・石垣・堀が残る。その後、鷲の門は1945(昭和20)年の空襲により焼失し、現在の門は1989(昭和64・平成元)年に復元されたもの。城山山頂の本丸には、清玄坊神社や午砲跡がある。御殿跡には1992(平成4)年に開館した徳島市立徳島城博物館*がある
#

みどころ

阿波特産の青石を配した美しい庭園で、国の名勝にも指定されている。庭園内で圧巻なのは、枯池に架かる長さ10.5mの自然の青石(緑色片石)の石橋と長さ6mの御影石(花崗岩)を加工した切石橋である。重厚感のある石橋の存在感が、静かな庭園にひときわ異彩を放っている。石橋と切石橋をながめたら、ぜひ渡ってほしい。万一、落ちても枯山水だから大丈夫。また、園内には、桃山時代に大名が好んだソテツが17株も現存する。
#

補足情報

*旧徳島城表御殿庭園:桃山様式の回遊式大名庭園で、書院の東庭は阿波特産の青石を使った枯山水、北庭は池泉回遊式の庭園になっている。茶人武将上田宗箇(そうこ)の築庭とされる。北庭には潮の干満とともに水位が変わる心字池がある。
*徳島市立徳島城博物館:徳島藩と蜂須賀家の歴史・美術資料を展示する。国重要文化財の徳島藩御召鯨船千山丸、県指定の柳橋水車図六曲屏風、蜂須賀正勝画像、波濤蒔絵鐙など多数の文化財を所蔵。