桂離宮
桂川西岸にあり、阪急京都線桂駅の北東徒歩20分。八条宮智仁(としひと)親王*によって始められた八条宮家の別荘で、1615(元和元)年ごろ工事に着手し、約35年の歳月を費やし、その子智忠(としただ)親王の代にさらに増築、整備された。のちに後水尾上皇の御幸に際して改装を加えたのが現在の姿である。かつては桂山荘、桂別業などと呼ばれ、桂離宮と称するのは1883(明治16)年に宮内省所管となってから。
離宮全体の構成は池の西岸に立つ書院を中心に極めて注意深く設計され、生活に即した合理性と斬新な創造精神とがいたるところにうかがえる。昭和初期に来日したドイツ人建築家ブルーノ・タウト*が絶賛したことで、世に広く知られるようになった。総面積は付属地を含め約6万9,000m2、うち庭園部分は約5万8,000m2。庭園は西側に書院群を並べ、中央に桂川の水を引いた複雑な汀線をもつ面積6,700m2の池を設けて大小5つの中島を浮かべている。池の周りに4つの茶室などを配置し、それを連絡する苑路*を巡らし、苑路に沿って築山や野筋、島や入江や州浜など、移り変わる景観を歩きながら観賞する回遊式庭園である。途中に数々の石橋・板橋・土橋を架け、要所に形のよい石灯籠24個と8つの手水鉢を置き、また石組と植栽を使って深山幽谷、あるいは海辺や田園の風景を表現している。庭と建築の構成、融合が見事であり、数寄屋建築と庭園美の集大成ともいわれる。
離宮全体の構成は池の西岸に立つ書院を中心に極めて注意深く設計され、生活に即した合理性と斬新な創造精神とがいたるところにうかがえる。昭和初期に来日したドイツ人建築家ブルーノ・タウト*が絶賛したことで、世に広く知られるようになった。総面積は付属地を含め約6万9,000m2、うち庭園部分は約5万8,000m2。庭園は西側に書院群を並べ、中央に桂川の水を引いた複雑な汀線をもつ面積6,700m2の池を設けて大小5つの中島を浮かべている。池の周りに4つの茶室などを配置し、それを連絡する苑路*を巡らし、苑路に沿って築山や野筋、島や入江や州浜など、移り変わる景観を歩きながら観賞する回遊式庭園である。途中に数々の石橋・板橋・土橋を架け、要所に形のよい石灯籠24個と8つの手水鉢を置き、また石組と植栽を使って深山幽谷、あるいは海辺や田園の風景を表現している。庭と建築の構成、融合が見事であり、数寄屋建築と庭園美の集大成ともいわれる。

みどころ
計算し尽くされた建物、石、樹々、水の配置に加え、建物ごとに異なるさまざまな建築スタイルと大胆な室内意匠、それまでの日本庭園に見られなかったまっすぐな苑路、反りのない力強い直線*の石橋、切石護岸や方形の舟溜りなど細部にも注目したい。飛び石や延段(のべだん)*も場面に応じて形や打ち方を変えているので、足元にも視線を。
参観はまず御幸(みゆき)道を歩いて御幸門へ。この門の正面の表門(御成門)が離宮への正式の門。次が外腰掛。当時珍しかったソテツを植えた蘇鉄山が目の前に。池に突き出た州浜の先端に灯籠が立つ景色は、天橋立に見立てているという。直線の切石の橋を渡ると松琴(しょうきん)亭*がある。続く賞花(しょうか)亭*は園内最高地点に立っている。水際に下りて左に曲がった先にある本瓦葺、宝形造の園林堂は、智忠親王が持仏堂として建てたもの。緩やかな反り橋を渡り、また左手に直角に曲がると笑意軒(しょういけん)*。前の護岸が切石できっちり組んであるのは舟着場だから。次に訪れるのが書院群*。よく目にする床の高い古書院、中書院、楽器の間、新御殿が雁行して立ち並ぶ。残念ながら室内には入れない。建物の前の広場では蹴鞠などが行われた。池に面してやや高くした土台に立つ月波楼(げっぱろう)*は、竹と葦簀(よしず)を使った舟底のような化粧屋根裏になっている。月波楼北東に見えるこんもりした松は住吉の松。最初に庭に入ったときに道の正面にあり、庭の全貌を見えなくする役目をもっていて、別名が衝立(ついたて)の松。御輿寄(おこしよせ)*・中門を潜り、住吉の松を間近に見て参観終了。
●参観には事前予約が必要。当日受付枠もある。詳細は公式WEBサイトで要確認。参観は係員が順路に沿って案内し、約60分。
参観はまず御幸(みゆき)道を歩いて御幸門へ。この門の正面の表門(御成門)が離宮への正式の門。次が外腰掛。当時珍しかったソテツを植えた蘇鉄山が目の前に。池に突き出た州浜の先端に灯籠が立つ景色は、天橋立に見立てているという。直線の切石の橋を渡ると松琴(しょうきん)亭*がある。続く賞花(しょうか)亭*は園内最高地点に立っている。水際に下りて左に曲がった先にある本瓦葺、宝形造の園林堂は、智忠親王が持仏堂として建てたもの。緩やかな反り橋を渡り、また左手に直角に曲がると笑意軒(しょういけん)*。前の護岸が切石できっちり組んであるのは舟着場だから。次に訪れるのが書院群*。よく目にする床の高い古書院、中書院、楽器の間、新御殿が雁行して立ち並ぶ。残念ながら室内には入れない。建物の前の広場では蹴鞠などが行われた。池に面してやや高くした土台に立つ月波楼(げっぱろう)*は、竹と葦簀(よしず)を使った舟底のような化粧屋根裏になっている。月波楼北東に見えるこんもりした松は住吉の松。最初に庭に入ったときに道の正面にあり、庭の全貌を見えなくする役目をもっていて、別名が衝立(ついたて)の松。御輿寄(おこしよせ)*・中門を潜り、住吉の松を間近に見て参観終了。
●参観には事前予約が必要。当日受付枠もある。詳細は公式WEBサイトで要確認。参観は係員が順路に沿って案内し、約60分。

補足情報
*八条宮智仁親王:1579~1629年。正親町(おおぎまち)天皇の皇孫。後陽成天皇の弟。9歳のとき豊臣秀吉の養子となるが、のち八条宮家を創立。和歌に優れ、細川幽斎に古今伝授を受け、後水尾天皇に古今伝授を授けている。
*ブルーノ・タウト:1880~1938年。東プロイセンケーニヒスブルク生まれの建築家。「鉄の記念塔」「ガラスの家」を発表し国際的評価を得る。ナチス政権を逃れるために1933(昭和8)年に日本へ移住。桂離宮の印象を「泣きたくなるほど美しい」などと日記に記している。桂離宮を「日本建築の世界的奇跡」と激賞し、日本文化に関する著作も多く残す。
*苑路:敷石・延段・飛石・砂利道など、あらゆる路面を使って、視覚から、また上り下りの触覚から、地形に合わせて周到な配慮が加えられている。
*直線:庭園の中に直線的(建築的)な意匠を取り入れたのは小堀遠州であり、桂離宮の庭園も遠州好みといわれるが、遠州が直接造営に参画したかどうかは不明。
*延段:大小の石を一定の幅で細長く敷き詰めたもの。真行草があり、おおまかにいうと、「真」は規格された切石を使うもの、「行」は縁石を外したり、自然石が混ざったりしてやや崩れたもの、「草」は大小入り混じった自然石を並べたもの。桂離宮では御輿寄の前が「真」、外腰掛前が「行」、笑意軒前、古書院(月見台)横のものが「草」といわれる。
*松琴亭:茅葺、入母屋造。床の間や襖の青と白の大胆な市松模様が印象的。庇を軽やかに吹き放ちの黒木の柱で支え、竈も据えている。
*賞花亭:茅葺、切妻造。2方の壁がなく、開放的。前面の眺めは広く明るいが、後方の窓の外は深い山を思わせる。
*笑意軒:茅葺、寄棟造に杮葺の庇が付く。障子の上の壁に6つの変化に富んだ下地窓が並び、金箔を稲妻のように平行四辺形に貼る斬新なデザインの腰壁も魅力。「笑意軒」の扁額の字も笑っているように個性的。
*書院群:いずれも杮葺、書院造。楽器の間と新御殿は、後水尾上皇の御幸に際し智忠親王が増築した。黒檀や紫檀を使って意匠を凝らした桂棚もここにある。古書院には池に面した広縁に竹簀子の突き出した月見台が造られている。
*月波楼:杮葺、寄棟造に千鳥破風を付ける。建物内に取り込んだ広い土間に巧みに飛び石を打ってある。
*御輿寄:ここが書院の玄関。玄関に向かって斜めに切石を組んだ延段があり、4段の低い石段を上がると、これも切石の沓脱石(くつぬぎいし)がある。大きいので「六つの沓脱」という。
*ブルーノ・タウト:1880~1938年。東プロイセンケーニヒスブルク生まれの建築家。「鉄の記念塔」「ガラスの家」を発表し国際的評価を得る。ナチス政権を逃れるために1933(昭和8)年に日本へ移住。桂離宮の印象を「泣きたくなるほど美しい」などと日記に記している。桂離宮を「日本建築の世界的奇跡」と激賞し、日本文化に関する著作も多く残す。
*苑路:敷石・延段・飛石・砂利道など、あらゆる路面を使って、視覚から、また上り下りの触覚から、地形に合わせて周到な配慮が加えられている。
*直線:庭園の中に直線的(建築的)な意匠を取り入れたのは小堀遠州であり、桂離宮の庭園も遠州好みといわれるが、遠州が直接造営に参画したかどうかは不明。
*延段:大小の石を一定の幅で細長く敷き詰めたもの。真行草があり、おおまかにいうと、「真」は規格された切石を使うもの、「行」は縁石を外したり、自然石が混ざったりしてやや崩れたもの、「草」は大小入り混じった自然石を並べたもの。桂離宮では御輿寄の前が「真」、外腰掛前が「行」、笑意軒前、古書院(月見台)横のものが「草」といわれる。
*松琴亭:茅葺、入母屋造。床の間や襖の青と白の大胆な市松模様が印象的。庇を軽やかに吹き放ちの黒木の柱で支え、竈も据えている。
*賞花亭:茅葺、切妻造。2方の壁がなく、開放的。前面の眺めは広く明るいが、後方の窓の外は深い山を思わせる。
*笑意軒:茅葺、寄棟造に杮葺の庇が付く。障子の上の壁に6つの変化に富んだ下地窓が並び、金箔を稲妻のように平行四辺形に貼る斬新なデザインの腰壁も魅力。「笑意軒」の扁額の字も笑っているように個性的。
*書院群:いずれも杮葺、書院造。楽器の間と新御殿は、後水尾上皇の御幸に際し智忠親王が増築した。黒檀や紫檀を使って意匠を凝らした桂棚もここにある。古書院には池に面した広縁に竹簀子の突き出した月見台が造られている。
*月波楼:杮葺、寄棟造に千鳥破風を付ける。建物内に取り込んだ広い土間に巧みに飛び石を打ってある。
*御輿寄:ここが書院の玄関。玄関に向かって斜めに切石を組んだ延段があり、4段の低い石段を上がると、これも切石の沓脱石(くつぬぎいし)がある。大きいので「六つの沓脱」という。
関連リンク | 宮内庁(WEBサイト) |
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参考文献 |
宮内庁(WEBサイト) 公益財団法人菊葉文化協会(WEBサイト) 「京都府の歴史散歩 上」山川出版社 |
2025年05月現在
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