伊賀上野城いがうえのじょう

JR伊賀上野駅または近鉄伊賀上野駅から伊賀鉄道上野市駅下車、徒歩8分。上野市駅の北側、市街を見下ろす高台にある。日本100名城の一つに選ばれている。1585(天正13)年、筒井(つつい)氏が、天正伊賀の乱で焼かれた平楽寺跡(へいらくじあと)に築城した。1608(慶長13)年、藤堂高虎(とうどうたかとら)*が大改修したが、1612(慶長17)年、暴風雨のため完成を待たずに天守閣は倒壊した。当時の天守閣は、東西13間、南北11間、5層の規模であった。
 現在の天守閣は、当地選出の代議士・川崎克が私財を投じて復興したもので、1935(昭和10)年に完成したものである。本丸跡に建てられた木造三層の大天守と二層の小天守からなる複合式天守であるが、高い石垣(高さ30mは大阪城と並び日本一とも言われている)や水枯れのない内堀などに、戦国時代の優れた築城技術の一端がうかがわれる。白鳳城とも呼ばれる。天守閣を中心にした一帯は上野公園として整備されており、芭蕉翁記念館や俳聖殿(はいせいでん)、忍者屋敷、忍者博物館、伊賀焼窯元直売店などが緑の木立の中に点在している。
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みどころ

伊賀上野城を含めたこの地域の歴史と文化の拠点として上野公園をとらえると、(1)地元の名士・川崎克氏によって復興された伊賀上野城・天守閣とその高石垣、(2)忍者屋敷、忍者博物館、忍者伝承館と忍者「実演ショー」などの忍者関係施設、(3)芭蕉記念館と俳聖殿など伊賀上野出身の松尾芭蕉に関わる施設、の3つに大別される。その中でもインバウンド客を含めて人気は忍者関係施設である。
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補足情報

*藤堂高虎(とうどうたかとら):1556~1630年。安土桃山から江戸時代にかけての武将。近江犬上郡生まれ。浅井長政に仕え、のちに織田信澄、豊臣秀吉などに仕えた。関ケ原合戦で徳川家康に属し、武功をたてたので、合戦後伊勢・伊賀二十二万九千石に封じられ、津に本城を、伊賀上野に支城を置いた。のちに三十二万四千石を領有した。江戸時代の築城の名手として知られ、宇和島、大洲、今治の各城を築き、伏見、膳所、江戸、丹波篠山、丹波亀山二条などの各城の縄張りに関わり、大阪城の修復にも関わった。