松前城(福山城)まつまえじょう(ふくやまじょう)

松前城は函館市の南西約70km、渡島半島の南西端松前町の松前湾に面する台地上に築かれ、海防を重視した縄張り*の城で、隣接する寺町などを含む国指定史跡としての面積は約14万8千m2である。
 慶長年間(1596~1614年)、松前氏が福山館を築いたのにはじまり、その後1854(嘉永7・安政元)年に外国船打ち払いのための本格的な城郭として福山館を改修して竣功した。日本式城郭としてはわが国最北のものであり、福山城*と命名された。東西200m、南北300m、海に面した三ノ丸に7つの砲台を有しており、松前湾沿いに配備された台場とともに津軽海峡を警備していた。城の北側には多くの寺が立ち並んでおり、出城構えとなっていた。前面の守りは強かったものの、明治元年には、より北にある厚沢部の館城へ拠点が移されたこともあって松前城の兵力は低下し、土方歳三などの旧幕府軍に城の弱点であった搦手を突かれ、半日ほどで落城した。
 天守は旧国宝に指定されていたが1949(昭和24)年に焼失してしまい、その後不燃性の素材として鉄筋コンクリートを用いて1961(昭和36)年に復興されている。現存の建物として安政元年に竣工した本丸御門があり、搦手(からめて)二ノ門や天神坂門は外形をそのままに平成11年~14年に復元されたもの。現在、復興天守の内部は松前藩と松前城に関する資料を展示する資料館になっている。
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みどころ

松前城の正門である本丸御門は堂々たる姿で重厚感がある。その隣に鉄筋コンクリートによる復興天守があり、最上階からは松前湾の姿が美しい。また、城の本丸跡に勧請された松前神社の境内は広々としていて気持ちの良い景観である。
 松前城周辺の寺町は松前の歴史を感じさせ、一帯をゆっくりと散策したい。静かなたたずまいの松前家墓所や、国指定史跡の松龍雲院(重要文化財)がある。松前家墓所は松前家の始祖・武田信広から19代にわたる歴代藩主やその一族が眠る墓所で、古木に囲まれて55基の墓碑が静かに並んでいる。また松前公園北西部にはテーマパークである松前藩屋敷があり、栄華を誇った城下町の街並みを再現している。奉行所、武家屋敷、海鮮問屋など14棟の建物があり、体験やお土産なども楽しめる。
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補足情報

*縄張り:本丸をどこに置くか、二の丸・三の丸などの曲輪はどう配置するか、防御のための堀や土塁はどうめぐらせるかなど、城の全体像を指す。
*福山城:正式名称であるが、地元の人々は松前城と呼び習わしてきた。広島県にある福山城と混同するため今でも松前城と呼ぶことが多い。
関連リンク まつまえの文化財(松前町教育委員会)(WEBサイト)
参考文献 まつまえの文化財(松前町教育委員会)(WEBサイト)
HOKKAIDO LOVE!(公益社団法人北海道観光振興機構)(WEBサイト)
『北海道の旅』更科 源蔵 社会思想社
『松前観光リーフレット』松前町
『北海道の歴史散歩』北海道高等学校日本史教育研究会 山川出版社

2024年01月現在

※交通アクセスや料金等に関する情報は、関連リンクをご覧ください。

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