中城城跡なかぐすくじょうあと

北側は急斜面、南側は断崖となっている台地上に広がる、6つの郭からなる連郭式の雄大な城跡。総面積は1万4,473m2に及ぶ。正確な築城年は不明だが、14世紀中ごろには造営が始まったと考えられている。現在の入り口から進んで一番奥にあるのが正門で、そこから一の郭、二の郭、三の郭と、南、西、北の郭が連なっている。もっとも高い所にある一の郭には正殿が、二の郭、三の郭にも建物があったようだ。それぞれの郭には堅牢で美しい石積みが残り、その間を石畳の道がつないでいる。
 座喜味城主だった護佐丸が、首里王府の命でこの城に移ったのは1440(永享12)年ごろのこと。築城の名手だった護佐丸は、北の郭と三の郭を増築し、城をさらに堅固なものにした。だが、勝連城主である阿麻和利の讒言にあい、1458(長禄2)年、王府軍に攻め込まれてこの地で没している。
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みどころ

このグスクでは、琉球に伝わる独特な石積み技法の変遷を見ることができる。加工していない石をそのまま組み合わせる最も古い技法が野面(のづら)積みで、これは城の祈りの空間である南の郭で見られる。石を豆腐のような直方体に加工してブロック状に積み上げるのが布積み(豆腐積みともいう)で、これは一の郭、二の郭に用いられている。石を多角形に加工して互いを噛み合わせるように積む相方積みは、護佐丸の時代に築かれた三の郭と北の郭で見られる。美しい石積みに目を凝らせば、その積み方から時代の変化を読み取ることができる。
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補足情報

*世界遺産:世界遺産条約(1972(昭和47)年)に基づき、人類共通の宝物として未来の世代に引き継いでいくべき文化財や遺跡、自然環境として、国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産委員会により登録された有形の資産。文化遺産・自然遺産・複合遺産の3種がある。
関連リンク 中城城跡(中城城跡共同管理協議会)(WEBサイト)
参考文献 中城城跡(中城城跡共同管理協議会)(WEBサイト)
高良倉吉監修『沖縄の世界遺産 琉球王国への誘い(楽学ブックス)』JTBパブリッシング、2013年

2020年04月現在

※交通アクセスや料金等に関する情報は、関連リンクをご覧ください。

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