首里城しゅりじょう

1429(正長2・永享元)年から約450年にわたって存在した琉球王国。そのシンボルであった首里城は王国時代、王とその家族が住むエリア、王国の政治や外交をつかさどる行政空間、王国が組織した神女たちによる祈りの空間の、大きく3つのエリアからなっていた。
 城は沖縄戦で大破したが、1992(平成4)年に復元整備されて公開が始まった。その後も復元が続き、2019(平成31)年1月末で終了した*。小高い丘の上に立ち、内郭と外郭に大きく分けられ、全体を囲む城壁は自然の地形を生かした緩やかなカーブを描く。
 首里城入り口の手前には、「守礼之邦」の扁額を掲げた守礼門がある。現在の門は1958(昭和33)年の再建。その先に首里城のウェルカムゲートである歓会門があり、ここから石段を上っていくと、瑞泉門、漏刻門、広福門と、荘厳な門が次々とあらわれる。広福門の先は下之御庭(しちゃぬうなー)という空間で、この先にうっそうと木々が繁る「京の内」という聖域と、首里森御嶽(すいむいうたき)が復元されている。
 奉神門から先は首里城の心臓部。門を入ると目の前には漆の赤色が輝く正殿、右側には白木造りの番所と南殿、左側には北殿が、白とレンガ色の瓦でストライプが描かれた御庭(うなー)を囲むように建っている。御庭では中国皇帝の使者である冊封使を迎えて行う冊封の儀式など、国の重要な儀式が行われた。
 正殿は中国建築の影響を大きく受けているが、正面中央には日本風の唐破風があるなど、両国との交流から生まれた琉球建築。漆の赤で埋め尽くされた正殿内部の中央には国王が座する場が設けられ、2階には漆芸でできた琉球最高の技術でつくられた玉座が置かれている。
 また、歓会門の手前には、国王の外出の際に安泰を祈ったとされる園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん・世界遺産*)があり、その先には龍潭、円鑑池と弁財天堂、円覚寺跡などの史跡が点在、首里城公園として整備されている。
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みどころ

首里城は標高120~130mの小高い丘の上にあり、城内でも高い場所にある正殿に向かって石畳の道と石段を上がっていく造り。石段の途中から振り返ると、那覇の街と、その沖に広がる海や慶良間列島が見渡せる。海や島の位置は変わらないので、王国時代に思いを馳せながら眺めてみたい。下之御庭の西端にある「西のアザナ」も眺めがよい。西のアザナは物見台だったが、ここから城を振り返って見ると、首里城の建物が東西の軸線に沿って建てられていることがわかる。
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補足情報

*2019(令和元)年10月31日未明に発生した火災により、正殿をはじめその多くが焼失。早期の再建が待たれている。
*世界遺産:世界遺産条約(1972(昭和47)年)に基づき、人類共通の宝物として未来の世代に引き継いでいくべき文化財や遺跡、自然環境として、国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産委員会により登録された有形の資産。文化遺産・自然遺産・複合遺産の3種がある。
関連リンク 首里城公園(WEBサイト)
参考文献 首里城公園(WEBサイト)
高良倉吉監修『沖縄の世界遺産 琉球王国への誘い(楽学ブックス)』JTBパブリッシング、2013年
『沖縄大百科事典』沖縄タイムス社、1983年

2020年04月現在

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