富山城とやまじょう

富山駅の南約1km、市街地のほぼ中央に富山城址公園がある。富山城は1543(天文12)年に畠山氏の守護代・神保長職が築城したことに始まり、江戸時代には前田氏の居城として整備され、富山藩政の中心であった。現在の城址公園は、主に本丸と西之丸の部分であり、当時はこの約6倍の広さがあった。公園として残された部分以外は、市街地となっている。明治時代以降の流路改修までは、城の北側に大きく蛇行した神通川が流れており、外堀の役割を果たしていた。桜の名所として知られる松川は神通川の名残である。
 天守については、少なくとも富山藩政期には幕府から建設を許可されていたが、実際には建てられなかったようである。現在目にする天守閣は、1954(昭和29)年に開催された富山産業大博覧会の際に、新たに建築された模擬天守である。内部は富山市郷土博物館となっており、戦災復興期を代表する建築物として、富山市のランドマークとして、国の登録有形文化財となっている。
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みどころ

城址公園には江戸時代の石垣や内堀の一部が残り、特に本丸正面の石垣には、鏡石と呼ばれる巨石が配されている。また、1849(嘉永2)年に建てられた千歳御殿の正門であり、現存する唯一の建築物である千歳御門も見ることができる。また、富山売薬の祖として知られる富山藩第2代藩主前田正甫(まさとし)の像も立てられ、富山市郷土博物館では400年以上におよぶ富山城の歴史を常設展示している。このほか園内には、東洋の古美術を中心に紹介する富山市佐藤記念美術館があり、四季折々の風景が楽しめる和風庭園や芝生広場が整備され、松川遊覧船のりばもある。
 なお、公園を出て約200m南にある、富山市民プラザ近くの歩道には「大手門跡」のプレートが埋め込まれている。
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補足情報

*富山藩:富山藩は1639(寛永16)年に、加賀藩3代藩主前田利常により、富山藩10万石が分藩され、次男利次を初代藩主として成立した。この時の富山藩領は、越中国(現在の富山県)の中央部に位置する婦負郡(ねいぐん)の全域、新川郡(にいかわぐん)の一部、そして加賀国(現在の石川県)能美郡(のみぐん)の一部、と分散しており、非常に治めにくい状態だった。この不便な状況を解決するため、1660(万治3)年に加賀藩の領地の一部との交換が許され、富山藩の領地はやっとひとつの地域にまとまった。
関連リンク 城址公園(WEBサイト)
参考文献 城址公園(WEBサイト)
とやま観光ナビ(富山県地方創生局 観光振興室・公益社団法人 とやま観光推進機構)(WEBサイト)
富山市観光協会(WEBサイト)
『石垣から読み解く富山城』富山城研究会 桂書房

2025年03月現在

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