鳥取城とっとりじょう

鳥取城跡は鳥取市内、標高 263m の久松山(きゅうしょうざん)にあり、鳥取市のランドマークとしてその山容と石垣を市内各所から仰ぎ見ることができる。鳥取駅から 2.1km、久松公園としても親しまれている。
 鳥取城は16世紀中頃、守護大名山名氏の同族争いの過程で、築城されたと言われている。その防御性の高さから「日本(ひのもと)にかくれなき名山」に築かれた城と評され、この強固な山城は 1581(天正 9)年に籠城する吉川経家を羽柴秀吉が兵糧攻めで攻め落としたことで知られている。江戸時代には鳥取池田家の藩祖、池田光仲が徳川家康のひ孫であったことから江戸幕府と良好な関係が続き、鳥取池田家は 12 代にわたって鳥取藩 32万石の藩主として栄えた。
 1879(明治 12)年に建造物は取り壊されたが、山頂には天守と門の跡、古井戸が残る。一方、山麓には、かつて複数の櫓や御殿が建ち並んでいた天球丸や二ノ丸、三ノ丸が広がり、累々と築かれた石垣が残されている。鳥取城跡は国の史跡に指定されており、日本百名城にも選定されている。現在、大手登城路部分の門や橋の復元が進められている。また、城内には明治時代末に鳥取池田家の別邸として造られた洋風建築である仁風閣が保存されている。
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みどころ

鳥取城跡の見どころは平山城(ひらやまじろ)エリアと山城(やまじろ)エリアの 2 箇所となる。平山城エリアは復元された木橋「擬宝珠橋」を渡り、大手門をくぐって、石垣、門跡などの往時の姿を偲びながら二ノ丸、天球丸へと散策していく。二ノ丸や天球丸まで登れば市内を一望する景観を楽しめる。春にはソメイヨシノを中心に約 240 本の桜が咲く県内有数の桜の名所となっている。ここでの見どころは天球丸の巻石垣である。これは江戸時代後期に既存の石垣の崩落を防止するために付け加えられた球面の石垣であり、形状としては国内唯一のものである。
 山城エリアである久松山山頂の天守跡まで足を運ぶには天球丸の登山口から片道 40 分程度の山登りとなる。山頂からは鳥取市内はもとより、鳥取平野、千代川河口と日本海、鳥取砂丘、湖山池、遠く大山まで眺望することができ、防御と偵察を目的とした中世の山城の役割を実感できる。
 鳥取城は鳥取池田家が藩主として 12 代続いたこともあり、江戸時代にも継続して拡張や整備が続いた。このため、山頂にある山城形式から山麓に広がる平山城(ひらやまじろ)形式への発達という城郭の歴史を学ぶことができることが特徴である。
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補足情報

*戦乱の舞台
1581(天正9)年、織田信長から中国平定の命をうけた羽柴秀吉がこの城を攻め、城主山名豊国は降伏し城を明け渡したが、再び城を奪還した毛利軍の武将吉川経家が入城した。これを兵糧攻めした秀吉との 5 カ月間の籠城戦のすえに吉川経家は開城した。開城の際に吉川経家は籠城した人々を救命するため自刄をしたことが戦国の美談として語りつがれている。
*太閤ヶ平(たいこうがなる)
鳥取城から東に 1.5km 離れた本陣山に、羽柴秀吉が鳥取城攻めのために陣地を築いた場所があり、現在は太閤ヶ平と呼ばれている。合戦のための野戦築城としては日本最大級の規模であり、幾重にも築かれた巨大な土塁や空堀、二重竪堀などの遺構が数多く残っている。相対する鳥取城側の久松山山頂からは1時間程度の山道を辿るか、市内の鳥取東照宮鳥居からは舗装された遊歩道で 3.5.km、1時間半の散策となる。
関連リンク 鳥取市(WEBサイト)
参考文献 鳥取市(WEBサイト)
一般社団法人鳥取市観光コンベンション協会(WEBサイト)
「鳥取県の歴史散歩」山川出版社,鳥取県の歴史散歩編集委員会編

2024年06月現在

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