松江城まつえじょう

宍道湖の北、標高28mの亀田山にあり、別名千鳥城の名をもつ。関ヶ原の戦いののち、出雲・隠岐に封ぜられて富田城(とだじょう)に入った堀尾吉晴(ほりおよしはる)が、1611(慶長16)年に築城*したものである。現在も天守閣*と石垣を残している。
 城跡は城山(じようざん)公園と呼ばれ、桜の名所となっており、二の丸跡には松江神社、1903(明治36)年に建てられた擬洋風建築の興雲閣(こううんかく)がある。本丸登り口の石垣に沿ってそびえるクロガネモチの並木は、樹齢約300年を数える。
 松江城の北東側、内濠をはさみ城と向かい合う延長約400mが塩見縄手と呼ばれる武家屋敷が連なった地区で、小泉八雲旧居をはじめ、地名のもとになった松江藩中老塩見小兵衛の屋敷など、松江でもっとも城下町らしいたたずまいを残している。市指定の伝統美観保存地区のこの一帯からは電柱が撤去され、地下に埋設されている。
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みどころ

現存十二天守のひとつ。十二天守中、高さでは3番目、古さでは5番目、天守閣の大きさ(広さ)では2番目となっている。
 松江藩7代藩主松平治郷(号を不昧という。)は、大名茶人として有名である。”不昧公好み”と呼ばれる茶室や茶器、和菓子などが現代に伝わっており、松江市民にも茶の湯文化が浸透している。松江城では毎年、松江城大茶会が開かれ、流派を超えて多くの人が集い、茶席を開く。
 城の周囲の水堀では、遊覧船「ぐるっと松江 堀川めぐり」が楽しめる。石垣や武家屋敷、松江城を低いところから見ることで、普段とは違った景色が望める。高さも幅もない橋にさしかかると船は屋根を下げ、客も合わせて頭を下げる。船頭の軽快な口調の案内と自然豊かな堀巡りを、迫力満点に体験できる。
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補足情報

*築城:松江築城を建言したのは吉晴の嫡子忠氏ともいう。家督を譲った忠氏が若く死去したので、初代松江城主は堀尾忠晴である。忠晴没後、京極氏1代を経て松平氏が城主となる。
*天守閣:4重5階地下1階で高さ30m、外壁は下見板張(したみいたばり)で5階は望楼となり、桃山初期の城郭の特徴を残している。前面の付櫓(つけやぐら)が入口となっているのも珍しい。
*松江城は2015(平成27)年に国宝に再指定された。これには、松江城の地階にある釘の穴跡に、松江神社から出てきた松江城築城の際の祈祷札がぴったりと一致したことが決め手となった。