米子城よなごじょう

米子城は、米子市の中心部、山陰本線米子駅から西1㎞に位置し、中海に張り出した標高約90mの湊山を中心に築かれた城である。その起源は15世紀後半に山名宗之が湊山に隣接する飯山に築いた砦とされる。近世城郭としての築城は戦国末期に吉川広家により開始され、関ケ原の合戦後に伯耆一国領主となった中村一忠が1602(慶長7)年に完成させた。
 海を天然の防壁とするとともに、中海の海運を監視する水軍の拠点を持つ海城であり、山頂に五重の天守閣と四重櫓(副天守)という連立天守閣の偉容を誇る名城であった。その後、1617(元和3)年に伯耆・因幡両国が全て鳥取藩の所領となったことで、米子城には鳥取藩主一族の池田由之が入り、以降、明治維新で取り壊されるまで鳥取藩の出城として存続した。2006(平成18)年に国の史跡に指定され、2021(令和3)年に三の丸の一部が追加指定されている。
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みどころ

米子城跡には枡形登城口から約20分程度で天守台まで登ることができる。市内から手軽に登れるため、多くの人々が朝の散策などで登っており市民に親しまれている。
 天守台からは360度の大パノラマが開け、遠く大山と日本海、更には隠岐島を望み、眼下には中海と城下町米子の市街地の広がりを感じることができる。また、連立する天守閣を築くための何重にも重なった複雑な石垣が特徴であり、登り石垣という尾根に沿った石垣や鉄門跡、遠見櫓跡などの独特の空間を楽しむことができる。
 現在では陸側にあった内堀・外堀は埋め立てられており、築地塀や門などの建物部分もまったく残されていないものの、この多様な石垣群と天守からの眺望だけでもかつての米子城の面影を感じることができよう。
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補足情報

米子城の外堀の一部をなしていた加茂川沿いには、水運で栄えた商都、米子の歴史的町並みが残っている。白壁の土蔵や、廻船問屋の住宅などを遊覧船で見ることができる。
関連リンク 米子城公式ホームページ 絶景の城 米子城(WEBサイト)
参考文献 米子城公式ホームページ 絶景の城 米子城(WEBサイト)
米子観光ナビ(米子市観光協会)(WEBサイト)
米子市サイト(米子城の歴史)(WEBサイト)
「鳥取県の歴史散歩」山川出版社,鳥取県の歴史散歩編集委員会編

2024年06月現在

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