岡城跡おかじょうあと

瀧廉太郎*の名曲「荒城の月」を生んだ岡城跡は、JR豊後竹田駅の東方にある。1185(文治元)年、緒方三郎惟栄(これよし)が、稲葉川と白滝川が合流する天然の高台に築城した。のち1594(文禄3)年、中川秀成(ひでしげ)が入城し、明治まで中川氏13代の居城となった。城郭は中川氏によるもので、本丸、二の丸、三の丸、西の丸などから成る。現在は周囲にめぐらされた石垣が残るのみ。
 二の丸跡には瀧廉太郎像、本丸跡付近に土井晩翠詩碑が立つ。また、325mの高台からは、くじゅう連山*や城下町を見晴らし、春は桜の名所としても知られる。
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みどころ

石垣しか残っていない“荒城”ではあるが、難攻不落と言われた山城を物語る、表情豊かな石垣が見ものである。至るところに大小の石積みを見られ、切り立つ断崖の上に高く積み上げた石垣が幾重にも連なる様子に防御の工夫も見て取れる。なかに丸みや曲線を生かした石・石垣が見られるのが特徴である。
 大手門への登り坂にある石垣は、上部が蒲鉾のような丸みを帯びており、曲線を描いている。見上げた先にある大手門跡の土台部分の石積みと併せて、どこか中世ヨーロッパの城壁のような雰囲気を漂わせる。曲線の感じは、沖縄のグスクの城壁も思い起こさせる。さらに進んだ家老中川但見屋敷跡辺りにも、小ぶりながら美しいカーブをなす石積みが残っており、ぜひ注目してほしい。
 また、三の丸高石垣は、岡城跡のよく知られた風景。実際に目にすると、谷からそそり立つような高さに足がすくみ、堅固な要塞としての役割を実感する。
 石垣の風化は避けられず、現在も修復・補強工事が続いている。
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補足情報

*瀧廉太郎:1879~1903年。東京生まれの作曲家。幼時期を竹田で過ごした。1900(明治33)年文部省の留学生としてドイツへ渡るが、結核のため帰国し、23歳で没。「箱根八里」「花」など多くの名曲を残す。
*名曲「荒城の月」のモデルとなった城は諸説があり、各地に詩碑が残る。土井晩翠の故郷であった宮城県仙台市の青葉城、福島県会津若松市の鶴ヶ城との説も。
*「くじゅう」の表記は昔から「九重」と「久住」の2通りがある。諸説があるが、現在、大分県の統一解釈では久住山は連山の主峰を指し、九重山は山々の総称としている。