宇和島城うわじまじょう

宇和島城は、市の中心、標高73mの丘の上に築かれた平山城で、戦国時代には板島丸串城と呼ばれて西園寺氏の居城であったが、1595(文禄4)年藤堂高虎が入部、翌年から6年の歳月をかけて本格的な築城を行った。築城の名手と言われた高虎が大名として初めて自分の居城につくった城である。その後1615(慶長20・元和元)年に伊達政宗の長子秀宗が入部し、現存の石垣や天守*は、その後伊達家によって修築されているが、基本的な城構えは高虎時代のものを踏襲している。以後藩政時代は伊達氏10万石の居城として使用され、明治にいたった。約450種の草木が生い茂る城山は、珍しい植物の宝庫となっている。
 なお、今は市街地の中心にある宇和島城は、もとは北側と西側が海に面した水城(海城)であった。その後埋め立てが進んでいるが、城全体を上空から見ると不等辺の5角形をしている。これは敵に四角形の城だと錯覚させ、死角をつくるための巧妙な造りであると言われている。
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みどころ

現存12天守のひとつで重要文化財の天守は、藤堂高虎が創建したとされる望楼型天守を宇和島伊達家2代宗利が1666(寛文6)年頃に3重3階総塗籠式、層塔型に再建したもので、各階の装飾性の高い破風(はふ)や懸魚(けぎょ)など小さいながらも御殿建築の意匠が随所に見られる。
 天守の最上階はもちろん、全ての階の武者窓から城下であった市街地や海が眺められる。一方、南側登城口城門の上り立ち門は市指定文化財となっており、武家の正門とされる薬医門形式としては最大級のものであり、また、現在は城山郷土館として宇和島ゆかりの人物展示を行う山里倉庫は、1845(弘化2)年に武器庫として建てられた現存例の少ない建築物である。
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補足情報

*天守:三重三階。土台から棟まで高さ15.8m。正面最上階の屋根には大きな唐破風、二階の屋根には大きな千鳥破風、一階には2つの千鳥破風、さらにその下に玄関の唐破風と変化のある屋根が白壁に映え、優美な姿を見せている。
関連リンク 宇和島(宇和島市役所)(WEBサイト)
参考文献 宇和島(宇和島市役所)(WEBサイト)
うわじま観光ガイド(宇和島市観光情報センター)(WEBサイト)
『宇和島城』パンフレット 宇和島市役所
『宇和島本』冊子 宇和島市商工観光課

2022年11月現在

※交通アクセスや料金等に関する情報は、関連リンクをご覧ください。