臼杵城跡うすきじょうあと

1562(永禄5)年から翌年にかけて大友宗麟*によって築かれたという説が有力である。この城が臼杵湾に浮かぶ丹生島に築城されたことから別名・丹生島城、また、島の形が亀の姿に似ていたことから、亀城とも呼ばれていた。宗麟の築城以降、江戸時代に稲葉氏が入国するまでの間に、島の東端部に本丸が、その西側には空堀をはさんで二の丸が築かれた。また、太田一吉の時代(1597~1600(慶長2~5)年)に、城の北西部にあった祇園洲に三の丸を造営、城の軍事的機能を高めたという。その後、稲葉氏が廃藩置県まで15代にわたって臼杵藩を治めていた。畳櫓、卯虎口門脇櫓などの遺構が往時の面影を伝える。
 往時は海に囲まれた城であったが、現在は埋め立てにより陸続きに。その城跡は現在臼杵公園として整備され、春には約800本の桜が咲き誇る県南有数の花見スポットとなっている。
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みどころ

臼杵の街中にある小高い城跡。当時の石垣や櫓が現存するのも貴重。現在は埋め立てにより陸続きになっているが、かつて、ここが島に造られた城であったことを想像しながら見学すると、趣ある風景に見えてくる。随所に見える切り立った岩肌も、天然の要害であった島の面影を今に伝えている。
 また、キリシタン大名として有名な大友宗麟の居城だったためか、石垣にはアルファベットの様な文字が刻まれており、またかつては城内には礼拝所が、城下にはイエズス会の修練所があったとされるなど、ロマンある逸話も面白い。
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補足情報

*大友宗麟:1530~1587年。戦国大名。朝鮮やポルトガル船と貿易を行い、一時北九州6カ国を支配した。キリスト教に帰依し1582(天正10)年日本初の遣欧使節をローマ法王に派遣した。