名護屋城なごやじょう

名護屋城は豊臣秀吉が朝鮮出兵(文禄・慶長の役)に際して拠点とした城で、全国の諸大名が普請し1591(天正19)年10月からわずか6カ月で築城したと伝わる。唐津市の北西、小高い丘陵にあり、玄界灘を望む。名護屋城の周囲約3km以内に、全国各地から集まった名だたる戦国大名の陣屋が130以上も立ち、多いときには20万人以上の人口がいたという。1955(昭和30)年には、城跡と23の陣屋跡が「名護屋城跡並びに陣跡」として国の特別史跡に指定されている。
 加藤清正等の指揮のもとに築城され、5層7重の天守閣、本丸、二ノ丸、三ノ丸、山里丸のほか、大小の曲輪・櫓など桃山建築の粋を集めたものであったという。秀吉の死後、1602(慶長7)年には建物の一部が唐津城に移され、さらに1615(慶長20)年の一国一城令を受けて、徹底的に破壊された。
 現在、発掘調査や崩れかけた石垣の修理など、保存・環境整備か進んでいる。また、建物は残っていないが、往時の姿を再現するバーチャル映像を貸し出すなど、見せ方に工夫が凝らされている。
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みどころ

当時、大坂城に次ぐ規模を誇ったという名護屋城。特に石垣が特徴的。それまで石工の技術は各戦国大名の軍事機密であったが、天下統一した豊臣秀吉の号令によって名護屋城が割普請によって築かれることとなったため、野面石積み、算木積み、穴太積み、縦石積みなど、さまざまな技術が生かされている。1976(昭和51)年から続く保存整備事業により、それらの石積みを間近で見ることできるようになったので、見学の際には細かなところを見て回ると楽しい。国の特別史跡のうち、戦国・江戸時代に建てられた城は、名護屋城、大坂城、江戸城、名古屋城、安土城、熊本城、姫路城、彦根城の8箇所であり、その希少性にも価値がある。
 隣接する佐賀県立名護屋城博物館には、特別史跡である「名護屋城跡並びに陣跡」の保存整備事業と、文禄・慶長の役、日本列島と朝鮮半島との長い交流の歴史などに関する資料、城や城下町の復元模型などを展示。合わせて見学すると、より深く理解できる。

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