今帰仁城なきじんじょう

今帰仁城は、南は谷を隔てて背後のクバの御嶽に連なり、東と北は40~100mの断崖下に志慶真川が流れる要害の地にある山城。琉球が尚氏によって統一される以前、北山・中山・南山の3つの勢力に分かれていた三山時代に、本島北部一帯から与論島、沖永良部島あたりまでを勢力下におさめた北山王の居城で、築城は13世紀末といわれている。
 約7.9haの広大な敷地に10の郭が配され、優美な石積みが続くさまから、沖縄屈指の名城とうたわれている。中心的建物があったとされる主郭に向かって丘陵地を上がっていく造りで、発掘調査で建物の礎石や基壇などが見つかっている。
 今帰仁城は琉球が統一される過程の1416(応永23)年、中山の尚巴志に攻められ、北山王・攀安知(はんあんち)は落命。北山は滅亡したが、城にはその後も首里王府から監守が派遣されていた。
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みどころ

山の頂に向かって龍がうねるように続く石積みは総延長約1.5kmもあり、山がちな地形にこれだけの石を積み上げた往時の北山の権勢がしのばれる。女官たちの部屋があったといわれる御内原(うーちばる)からは、カーブを描く石積みの向こうに、晴れていればコバルトブルーの海と伊是名島・伊平屋島、時には与論島まで眺めることができる。また、1月末から2月にかけては、平郎門から続く石畳道の左右にカンヒザクラが咲き、観光客を喜ばせている。
 城のふもとにある今帰仁村歴史文化センターには、東南アジアや中国製の陶磁器など、城跡からの出土品が展示されているので、こちらも立ち寄りたい。
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補足情報

*世界遺産:世界遺産条約(1972(昭和47)年)に基づき、人類共通の宝物として未来の世代に引き継いでいくべき文化財や遺跡、自然環境として、国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産委員会により登録された有形の資産。文化遺産・自然遺産・複合遺産の3種がある。
関連リンク 世界遺産 今帰仁城跡(おきなわスポーツイノベーション協会株式会社)(WEBサイト)
参考文献 世界遺産 今帰仁城跡(おきなわスポーツイノベーション協会株式会社)(WEBサイト)
高良倉吉監修『沖縄の世界遺産 琉球王国への誘い(楽学ブックス)』JTBパブリッシング、2013年

2020年04月現在

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