越前大野城
市街の西部、標高249mの亀山山頂に建つ2層3階の天守は、大野のシンボルとなっている。
1575(天正3)年、織田信長より大野郡の3分の2を与えられた金森長近*によって、1576(天正4)年から約4年の歳月をかけて築城された平山城で、以後明治まで19代の領主の居城となった。本丸には2層3階の大天守、2層2階の小天守、山の麓には二の丸、三の丸があり、多くの城門や、内堀、外堀を巡らして、城を守った。
天守は江戸時代後期の1775(安永4)年に焼失したが、1795(寛政7)年に再建、明治初めには新政府によって廃城となり、現在の天守は1968(昭和43)年の再建である。面積467m2、高さ16mの大天守と、それに付随する天狗書院から成り、内部には歴代領主の遺品や古文書などが展示してある。天守最上階は展望台になっており、大野市街、大野盆地を足下に、遠く白山連峰も眺められる。また、東麓の柳廼社(やなぎのやしろ)には、藩主土井利忠が祭ってある。
1575(天正3)年、織田信長より大野郡の3分の2を与えられた金森長近*によって、1576(天正4)年から約4年の歳月をかけて築城された平山城で、以後明治まで19代の領主の居城となった。本丸には2層3階の大天守、2層2階の小天守、山の麓には二の丸、三の丸があり、多くの城門や、内堀、外堀を巡らして、城を守った。
天守は江戸時代後期の1775(安永4)年に焼失したが、1795(寛政7)年に再建、明治初めには新政府によって廃城となり、現在の天守は1968(昭和43)年の再建である。面積467m2、高さ16mの大天守と、それに付随する天狗書院から成り、内部には歴代領主の遺品や古文書などが展示してある。天守最上階は展望台になっており、大野市街、大野盆地を足下に、遠く白山連峰も眺められる。また、東麓の柳廼社(やなぎのやしろ)には、藩主土井利忠が祭ってある。
みどころ
「天空の城 越前大野城」として雲海が知られている。
雲海が生ずる時期は10月頃から4月末頃まで。11月頃、最も雲海が出現する。時間は、明け方から午前9時頃まで。前日の湿度が高いこと、前日の日中と翌日朝方の気温差が大きいこと、風が弱いことなどの条件がそろわないと出現しない。大野城の西約1kmにある戌山城址が、最高の撮影スポットである。(溝尾 良隆)
雲海が生ずる時期は10月頃から4月末頃まで。11月頃、最も雲海が出現する。時間は、明け方から午前9時頃まで。前日の湿度が高いこと、前日の日中と翌日朝方の気温差が大きいこと、風が弱いことなどの条件がそろわないと出現しない。大野城の西約1kmにある戌山城址が、最高の撮影スポットである。(溝尾 良隆)
補足情報
*金森長近:織田信長に仕官し、長篠の戦などで功績をあげ、1575(天正3)年、大野地域を平定。大野郡の3分2を与えられる。1585(天正13)年、飛騨一国を与えられる。1590(天正18)年、飛騨高山初代の城主となる。
*現在の天守は、往時を推定して再建されている。ただし石垣の形状は当時のままで、自然石を加工せずに積む、野面積み工法でできている。
*現在の天守は、往時を推定して再建されている。ただし石垣の形状は当時のままで、自然石を加工せずに積む、野面積み工法でできている。
関連リンク | 越前大野城(大野市)(WEBサイト) |
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参考文献 |
越前大野城(大野市)(WEBサイト) パンフレット「越前おおの 観光パンフレット」(大野市・一般社団法人大野市観光協会)(WEBサイト) パンフレット「結の故郷越前おおの観光ガイドMAP」(大野市・一般社団法人大野市観光協会)(WEBサイト) |
2022年06月現在
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